人と人との出会い
袖振り合うのも多少のご縁
その「多少」の「ご縁」が
意外と人の人生を左右する事がある
3月、熊野の「蘇りの熊野」イベントで
和歌山に行かせていただいた
その後
4月に熊野にご縁をいただき
その流れで高野山
丹生都比売神社の奉納と
ご縁をいただいた
熊野本宮大社の遷座式
出席のお許しをいただいた後
十津川村を通って
高野山入りをした
途中、十津川沿いにある
ドライブインで休憩
隣の熟女夫婦が
私に声をかけてきた
その方達も
熊野本宮大社からの帰りと言う
十津川は
木材で富を得たところ
しかしながら現在は
木材では家をつくらない。。。
なので
仕事がなかなか無い。。。と
都会で仕事をして
ある程度の年齢になったとして
十津川の方に戻っても
仕事が無い
若い人がいなくなり
年寄りばかりになった。。。
まったく
困った時代になったなと
しかしながら
十津川は世界に誇れる美しい村
十津川と聞いただけで
私はなぜか
昔からときめいた
十津川は昔
やはり今回の台風12号のような
大変な被害を受け
北海道に移動した人々がおられるらしい
北海道に十津川という
地名があるのは
そのためだと
その方はおっしゃっていた
お話が終わったころ
そのご夫妻のお食事も終わり
「どうも」とおっしゃって
お帰りになられた
私の旅は
いつも一人旅
あやしげに見えるかもしれないが
相棒がいるより
問題は無い
一人旅は、私の性に合っている
都内で生活していても
仕事が無い
職場がつぶれた
etc
あるのだ
だからといってふるさとに帰っても
仕事が無い
大変な世の中になった
そうは、思わない
先人達は
こういった時代を生き抜いてきた
その延長線上に
私たちがいる
あきらめたときが
自分自身にみぎりをつけた時
まだ、負けていない
そう思えば
知恵もわいてくる
私も現在
いろんな意味で
お稽古場の事を考えているが
正直、うまく言っていない
自分に迷いの無いときは
走って向かっていけるのだが
迷うと
いろんな方向から
魅力的?
そう思える案件が、入ってくる
私の世界は水物なので
そのときに「ぱく」つかないと
流れが変わる事がある
分岐点なのかもしれない
でも
一番自分が何をしていきたいのか
これが、大切
やりたいことと
出来る事は違う
それは、わかっている
しかし
出来るか出来ないかは
やってみなければ。。。わからない
私の行動に
時々人は
「ぜいたく」
とか
「これだけやるという事は、大変な事なんだよ」
とか
失敗したときに
いろいろ
目を吊り上げて
避難するが
その人のアドバイスに従って
謙虚に行動したから
うまくいくのか?
こっちはどうしたらよいのか
いつも考えている
十津川であった
その方のおっしゃった「台詞」
大変な世の中になった~
でもね
生きている以上
なんとかしなければだめなのよ
思いつく事があれば
何でもやってみて
うまくいったら
感謝
うまくいかなくなったら
発想の転換
一番大切なのは
自分が、何をどうしたいのか
はっきりわかっているかという事
なぜならば
実際行動していって
うまく行かないときって
人のせいにしても
解決にならない
本当に自分が
その事をしたいと
のぞんでいるのか
ここが大切
自分自身に問いかけてみる
たしか、曹洞宗の教えに
人は、自分の望みを
必ず叶えると
あったような気がする
自分にも気がつかない
自分の心の中になる
「思い」
この「思い」が
よいことであるのか
わるいことであるのか
結果はどうあれ
出会いという形で
成立するのだろうか
とにかく
一度は十津川村にいきたいと望み
十津川村と北海道との
接点が見つかった
きっと
私の中にある開拓精神
この思いが
出会わせてくれたのだろう

袖振り合うのも多少のご縁
その「多少」の「ご縁」が
意外と人の人生を左右する事がある
3月、熊野の「蘇りの熊野」イベントで
和歌山に行かせていただいた
その後
4月に熊野にご縁をいただき
その流れで高野山
丹生都比売神社の奉納と
ご縁をいただいた
熊野本宮大社の遷座式
出席のお許しをいただいた後
十津川村を通って
高野山入りをした
途中、十津川沿いにある
ドライブインで休憩
隣の熟女夫婦が
私に声をかけてきた
その方達も
熊野本宮大社からの帰りと言う
十津川は
木材で富を得たところ
しかしながら現在は
木材では家をつくらない。。。
なので
仕事がなかなか無い。。。と
都会で仕事をして
ある程度の年齢になったとして
十津川の方に戻っても
仕事が無い
若い人がいなくなり
年寄りばかりになった。。。
まったく
困った時代になったなと
しかしながら
十津川は世界に誇れる美しい村
十津川と聞いただけで
私はなぜか
昔からときめいた
十津川は昔
やはり今回の台風12号のような
大変な被害を受け
北海道に移動した人々がおられるらしい
北海道に十津川という
地名があるのは
そのためだと
その方はおっしゃっていた
お話が終わったころ
そのご夫妻のお食事も終わり
「どうも」とおっしゃって
お帰りになられた
私の旅は
いつも一人旅
あやしげに見えるかもしれないが
相棒がいるより
問題は無い
一人旅は、私の性に合っている
都内で生活していても
仕事が無い
職場がつぶれた
etc
あるのだ
だからといってふるさとに帰っても
仕事が無い
大変な世の中になった
そうは、思わない
先人達は
こういった時代を生き抜いてきた
その延長線上に
私たちがいる
あきらめたときが
自分自身にみぎりをつけた時
まだ、負けていない
そう思えば
知恵もわいてくる
私も現在
いろんな意味で
お稽古場の事を考えているが
正直、うまく言っていない
自分に迷いの無いときは
走って向かっていけるのだが
迷うと
いろんな方向から
魅力的?
そう思える案件が、入ってくる
私の世界は水物なので
そのときに「ぱく」つかないと
流れが変わる事がある
分岐点なのかもしれない
でも
一番自分が何をしていきたいのか
これが、大切
やりたいことと
出来る事は違う
それは、わかっている
しかし
出来るか出来ないかは
やってみなければ。。。わからない
私の行動に
時々人は
「ぜいたく」
とか
「これだけやるという事は、大変な事なんだよ」
とか
失敗したときに
いろいろ
目を吊り上げて
避難するが
その人のアドバイスに従って
謙虚に行動したから
うまくいくのか?
こっちはどうしたらよいのか
いつも考えている
十津川であった
その方のおっしゃった「台詞」
大変な世の中になった~
でもね
生きている以上
なんとかしなければだめなのよ
思いつく事があれば
何でもやってみて
うまくいったら
感謝
うまくいかなくなったら
発想の転換
一番大切なのは
自分が、何をどうしたいのか
はっきりわかっているかという事
なぜならば
実際行動していって
うまく行かないときって
人のせいにしても
解決にならない
本当に自分が
その事をしたいと
のぞんでいるのか
ここが大切
自分自身に問いかけてみる
たしか、曹洞宗の教えに
人は、自分の望みを
必ず叶えると
あったような気がする
自分にも気がつかない
自分の心の中になる
「思い」
この「思い」が
よいことであるのか
わるいことであるのか
結果はどうあれ
出会いという形で
成立するのだろうか
とにかく
一度は十津川村にいきたいと望み
十津川村と北海道との
接点が見つかった
きっと
私の中にある開拓精神
この思いが
出会わせてくれたのだろう

