『ドイツで原発が全面的に運転停止した。ドイツで最後まで稼働していた原発3基が15日、運転停止し、ドイツの原発の歴史は終わった。
ドイツでは1970年代から脱原発運動が広がってきた。旧ソ連、今のウクライナのチェルノブイリ原発で86年に爆発事故があり、ドイツ政界にあった「原発安全神話」が崩壊し、脱原発運動は加速し、政界も動きはじめた。
80年代に脱原発派の政党「緑の党」が連邦議会に進出し、98年に発足のシュレーダー政権で初めて政権入りをし、脱原発で合意した。シュレーダー政権は電力業界とも原発全廃で合意し、02年には21年までに全原発停止を決め、再生可能エネルギーへの転換も本格化に進めた。
次のメルケル政権が10年に、脱原発の見直しを表明して、市民から大反発を招いた。
その翌年は、福島第1原発の爆発事故が起きた年だった。ドイツの脱原発の流れは確定した。
メルケル首相も福島の事故について「世界にとっての転換点」と述べ、脱原発を明確にした。ショルツ現政権もこの方向を引き継いだが、ロシアのウクライナ侵略戦争によるエネルギー危機で、当初は昨年末停止予定だった今回の原発3基を延長していた。しかし再延長しなかった。』(しんぶん赤旗4月27日号)




さすがに紆余曲折を経てだが、ドイツは、原発を終わらせた。メルケル氏は反原発をぶつので、生来の反原発論者だと思っていたが、そうではなかったんだ。
ショルツ氏も、一旦停止を延長したものの、やっぱり、再延長しなかった。これは、ロシアのウクライナ侵やっぱし攻によるエネルギー危機を根拠としたが、同じ、ロシアの侵攻で、ウクライナのザポロジエ原発を爆撃したことが一因だと言われる。ショルツ政権のレムケ環境相は「原発は戦争の標的になり、戦争を念頭に置いた防御は不可能だ」と述べ、脱原発は正しいと主張したという。
な~も考えず、事故直後から一貫して再稼働のことばかり考えているヤカラとは全然違う。悩んで悩んで、結局原発を停止したもんな。
ていうか、ボクなんか、事故前からアブナイアブナイと言っていて、それ見たことかすぐやめろ、と声を上げたんだけど、まぁ、日本の政府ももうちょっとそれくらいの悩みを見せたらどうなんだ。悩むそぶりもなくしゃあしゃあと、淡々と、やってくるんだからな。
原発の危険性、ボクとしては、しゃあしゃあと、淡々とではなく、情熱をもってしっかり訴えていきたい。

 

 

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