『・路上生活の人を生活保護につないでいる友達がいます。でも生活保護を受けようと思っても、申請しないように行政が誘導する「水際作戦」で追い払われたりしています。全然連絡を取っていない家族に「何とかして」という「扶養照会」の連絡がなんで行くのでしょうか。「家族でやってくれ」という押し付けが強い。家族で何とかするのが美徳ということで、国はお金を出そうとしない。それを何とか変えなければと思っています。
・自民党の改憲の考え方がよくわかる憲法改正草案(12年)があります。これでは、今の憲法24条に「家族は互いに助け合わなくてはならない」という規定を加えようとしています。
憲法は、市民が国に対して命令し束縛するものであるにもかかわらず、自民党の改憲草案は国が市民に命令しています。基本的なロジック(論理)が間違っています。こういうことを言いだしたら、介護も子育ても家族の責任だという方向がいっそう強まります。』(しんぶん赤旗日曜版1月16日号)




家族は大事だと考える人は多い。それを否定はしない。けれど、家族が牢獄のように個人を縛り付けることも実際に多いのだし、「家族は互いに助け合わなければならない」とまで言うのは、言いすぎというか、余計なお世話。というか、むしろ実際のところ、国が予算をケチりたいがために醇風美俗を口実にするこのケムタさ。
このごろ、街中で生活保護なんて絶対イヤ!と、憎々しさまで込め、絶叫する人を聞く頻度が高まった気がするなぁ。気のせいか。とげとげしさまでが政策的に誘導されているような気がするな。
のびのびと、豊かさを実感できるような配分をしないと、成長も期待できないのだから。

 

 

 

今日も元気にやりましょう。