国鉄からJRになり、大阪駅も大規模なリニューアルを終えて十数年が過ぎました。

その間に長距離夜行列車や名だたる優等列車が姿を消し、国鉄時代に製造された車両もほとんど姿を消してしまいました。

その昔、「撮り鉄」だった学生時代を中心に、空が見えていた大阪駅で撮影した懐かしの列車を振り返ってみたいと思います。

撮影時期は1970年代後半~2010年頃の大阪駅です。

 

【通勤型・近郊型列車】

大阪環状線、東海道・山陽線の普通列車の主役と言えばこの103系電車

ユニバーサルスタジオ・ジャパンの開業に合わせて、数編成の車輌にはラッピングが施されました。

 

京都・米原方面や神戸・西明石方面の快速列車の主力だった湘南色(深緑色とオレンジ色)の113系電車

同じ113系でも、大阪~奈良間の快速に使用された車両は、アイボリーにオレンジ色の帯を巻いた塗装で、前面に小振りのマークが取り付けられていました。

似たような車輌ですが、こちらは東海道・山陽本線の「新快速」の主力だった急行型の153系 

前面に「新快速」の大きなヘッドマークが付けられていました。

 

【急行型・特急型電車】

大阪駅を発着する優等列車の中で、圧倒的に本数が多かった北陸方面への特急「雷鳥」

国鉄時代に「L(エル)特急」と言われた特急列車は、1時間毎に主要駅から出発していました。

関東地区では上野駅を起点とする「ひばり」「とき」などがL特急でした。

485系ボンネット型、貫通・非貫通型の他、九州夜行寝台列車の昼間時間帯の有効活用として、581系や583系を使用した列車もありました。

大阪駅に到着した雷鳥は、回送列車になる際に前面の表示幕が「回送」の文字になるまでクルクル変わります。

この「幕回し」の時には、普段あまり目にすることのない列車愛称名を見ることができて楽しかったです。

この「マリン雷鳥」もその一つでした。

一日一本だけながら、大阪~青森間の超ロングラン走行を毎日続けていた「白鳥」

時には国鉄時代の車輌を使い「リバイバル○○」と称したイベント列車が走りました。

この「はと」もその一つですが、国鉄時代の車輌が消滅した今、もうその姿を見ることはできなくなりました。

大阪~九州間を結んだ夜行寝台特急には「あかつき」「彗星」「明星」「なは」がありました。

ブルートレインと呼ばれた客車編成、三段式寝台電車の581、583系など、夜行列車の魅力は尽きません。

夜出発して、翌朝には目的地に到着。 一日の時間を有効活用できるし、寝台で駅弁を食べたり、ワクワクしてなかなか眠れなかったり・・・ また大阪駅から夜行列車が定期で走る日が来るといいなぁ~と思います。

大阪~青森間を結んだ「日本海」と、最後の大阪駅発着となった豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」

 

福知山線が電化される前は、こんな車輌たちも大阪駅に来ていました。

キハ47 気動車

キハ181 気動車 特急「まつかぜ」

ディーゼル機関車が古い客車を牽く普通列車。 

どこか地方のローカル駅の雰囲気ですが、これが日常だった大阪駅の時代もあったんです。

こちらは大阪と山陰地方を結んでいた急行「だいせん」 20系寝台客車の時代。

大阪駅では日常茶飯事に「荷物列車」も発着していました。

その主力機だったのがEF58型電気機関車。

流線型の長い車体が特徴で、全175両の内、ひとつとして同じ車両が無いぐらい、いろんな部分が改造されていて、走行線区や所属機関区ごとに個性ある車体がファンの間で人気でした。

 

米原機関区所属の112号機と113号機  このEF58が並ぶ光景は毎日のように見ることができました。

 

天皇陛下がお乗りになる「御召し列車」を牽引する特別な機関車として製造された60号機と61号機

61号機は本務機として何度も御召し列車や特別列車を牽引しましたが、60号機は予備機として浜松機関区に所属しており、目立つ機会もなく、御召し予備機でありながら最後は解体されてしまいました。

大阪駅に撮影に行って、この機関車に会えた時はメチャクチャ嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。

「雷鳥」と並んだ宮原機関区所属の100号機  

「100」番という番号が人気で、よく臨時列車の牽引などに使用されていました。

昼の閑散時間帯には、荷物列車の入れ替え作業でこんな機関車が大阪駅をウロウロしている光景も見られました。

 

もしタイムマシンがこの世にあったなら、この時代に戻って日本全国を回って写真を撮りまくりたい!!