さてさて………………

【等持院(とうじいん)】
京都府京都市北区等持院北町63



【清漣亭(せいれんてい)】
足利義政好みの茶室お茶


江戸時代初期に再建されたが、元は康正3年(1457年)に足利義政が建てたもの。


【方丈と庭園】

芙蓉池を中心とする庭園は、夢窓国師作とも伝えられている。


この池は蓮の花チューリップを模っており、周囲には花木をあしらい草木を配して、石組も変化に富んでいる。




【足利尊氏之墓所】
【方丈】北の中央に足利尊氏の墓である宝筺印塔がある上差しカメラお願い


【足利尊氏】
鎌倉幕府末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本日本の武将カブト

室町幕府初代征夷大将軍(在職1338年ー1358年)。

鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源尊氏(みなもとのたかうじ)


塔の台座は四面に立派な格狭間(こうざま)があり、宝瓶に蓮華を挿した文様があって、室町幕府の形を示している。


足利尊氏の墓でと言えば………………

ココロ過去ブログにも何度か登場している高山彦九郎

「ビシッ!!ビシッ!!

彦九郎13歳の時に読んだ『太平記鉛筆』。新田義貞の家臣の家柄だった高山家からすれば、尊氏は先祖の敵プンプンそして、後醍醐天皇をないがしろにした尊氏が許せなかったのだろう。
南朝に対する尊氏の罪状をひとつ、ひとつ挙げては300回尊氏の墓に向かって力いっぱいに鞭を打ったというびっくり

その尊氏の墓の前にココロは立ったお願い


台座の正面に「延文三年四月」の文字が見られる上差しカメラ目


【方丈】の北庭の東側に位置する【心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池)】を主とする庭園の景は幽邃である。


【十三重塔】
室町幕府将軍十五代の供養塔お願い




【書院】では、坐して抹茶お茶を喫しながらこの庭園を眺めることが出来る上差しカメラ


お茶碗に足利家の家紋もステキラブ


預けていた御朱印帳を引き取る。

頂いた御朱印はこちら上差しカメラ
もちろん初となるお祝い

念願の【等持院】参拝お願いを終え、ココロは次なる目的地を目指して再びてくてく歩き始めた…………ランニングアセアセダッシュ


続く……………………。