さてさて………………
【恵解山古墳(いげのやまこふん)】を出発したココロは、次の目的地を目指しててくてく歩いた…………
【勝龍寺城大門橋】
【勝龍寺城】があった頃は、ここに【大手門】があり、そこに橋が架かっていたので【大門橋(だいもんばし)】と呼ばれていたという。
この後目指す【勝龍寺城】まで歩くと、その規模の大きさが理解出来る
おっ
まずは次の目的地を示す雰囲気ある石碑が見えてきたぞっ
近づいてきた証だ
そして、到着したのは…………………
【勝龍寺(しょうりゅうじ)】
京都府長岡京市勝龍寺19-25
こちらも読みは難しい
実は、【中山修一記念館】でガイドさんとお話している時、ココロは【勝龍寺(しょうりゅうじ)】を「かつりゅうじ」と言っていて
ガイドさんに「あっしょうりゅうじですね」と訂正されて、ココロは初めて間違いに気付いたのでした
【勝龍寺】は、平安時代の大同元年(806年)、弘法大師(空海)により創建されたと伝わる。
【本堂】には寺院には珍しい注連縄(しめなわ)が張られている
この注連縄は、寺号の【勝龍寺】に相応しく、西の空に向かい舞う龍を見立てているという
元の寺号は、唐の都・長安で恵果和尚から真言密教を学んだ寺院の名をとり『青龍寺(しょうりゅうじ)』であったが、応和2年(962年)に大干ばつ・大飢餓が起きた時、天皇は住職の千観上人に7日間の祈祷を命じた。
すると、にわかに雨が降り出し『龍神を呼び、龍神に勝った』という意味で、『青龍寺』から【勝龍寺】に改名したという。
なるほど
これで読みはもう絶対忘れないぞ
嵯峨天皇の頃には、勅願により【観音堂】をはじめとした九十九坊が建てられ、隆盛を極めた。
神仏習合の名残りで、境内には【春日神社】が鎮座している。
【春日神社】は勝龍寺地区の氏神であるという。
明治初期の社伝によると、平安時代の承安4年(1174年)に関白九条兼実の建立。
天正10年(1582年)の「山崎の合戦」において焼失した後、慶長9年(1604年)に再建されたと伝えられている。
【寺務所】にて御朱印が頂ける