さてさて…………………
【中山修一記念館】を出発し、お腹の痛みも治まったココロは、次の目的地を目指して歩いた…………
道中には恒例の……………
【長岡京市マンホール】
孟宗竹が日本へ最初に伝わった場所とされる西山。長岡京市奥海印寺寂照院には「孟宗竹発祥の地」の石碑があるという。
西山が誇る最高級品質の筍と竹がデザインされている
中央にあるのは「長」の文字を図案化した市章で、重なった円が住民の和と発展する年輪を表わしているという。
そして、到着したのは………………
【恵解山古墳(いげのやまこふん)】
京都府長岡京市勝竜寺・久貝2丁目
読めないですよね
形状は前方後円墳。
国の史跡に指定され、出土品は京都府指定有形文化財に指定されている。
平成15年(2003年)から平成25年(2013年)まで調査及び保存整備が行われ、平成26年(2014年)に【恵解山古墳公園】となった。
この日も、幼稚園児たちが遠足課外授業楽しく走り回り、歴史と触れ合っていました
【恵解山古墳】は、京都盆地から大阪平野に通じる
狭隘部で、桂川・宇治川の合流点東北の平野部に位置する。
京都府南部の乙訓地域最大の古墳である。
全長約128m、後円部直径約束78.6m、高さ約10.4m、前方部幅約78.6m、高さ10.4mを測る。
幅30mの周濠を持つ。
埴輪列と葺石が確認されているという。
たくさんの園児の中、スマホ片手に写真を撮影するひとりの怪しい男=ココロは、墳丘を上がります……………
こちらも、綺麗に整備されている
見えるのは、【天王山】だ
【天王山】は、FさんとNさんの三人で行きました
5世紀前半の築造と推定されている。
内部主体は失われているが、竪穴式石槨と推定されている。
後円部には墓地が創られている
前方後円墳の形状もきちんと確認出来る
墳形は大王(天皇)墓に倣っていることから、被葬者は桂川右岸を治めた有力者で、王権と強いつながりを持ち、大王墓の設計図を使用できた人物と推察される
『本能寺の変』の後、豊臣秀吉と明智光秀が戦った『山崎の戦い』において、光秀の本陣が置かれたと伝わる。
さてさて………………
不審者のようなココロは、【恵解山古墳】を後にしJR「長岡京駅」方面へと再びてくてくと歩き始めた………………
筍(たけのこ)がかわいい
春らしい街並みに、目や身体が癒やされる