2024年3月28日
この日は、恒例のココロのひとり京都勉強会………略して『京勉会』のため、電車に乗り込んだ
【京阪バス発祥之地】
こんな石碑がある場所を通過して…………
近鉄「桃山御陵前駅」から京阪「伏見桃山駅」へと乗り換える………………
そして、京阪「淀駅」で下車した。
通算23回目の『京勉会』は、ここからスタートしまーーーす
まず、はじめに到着したのは……………
【與杼神社(よどじんじゃ)】
京都府京都市伏見区淀本町167
式内社で、旧社格は郷社。
【淀城】の本丸跡に建てられている
社伝等によると、応和年間(961年〜964年)に【愛宕念仏寺】などを再興した千観内供が備前国佐賀郡河上村(現:佐賀県佐賀市大和町大字川上)の【與止日女神社】から淀大明神を勧請して、山城国乙訓郡水垂村(現:伏見区淀大下津間違えた)に建立したとされる。
おおーーーーーっ
立派な神社だーーーーっ
しかしながら、『日本三代実録』には貞観元年(859年)に従五位下の神位を賜ったという記述があり、延長5年(927年)に成立した延喜式神名帳では、山城国乙訓郡の小社として列していることから応和年間以前には存在していたと考えられる
祭神
・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
※別名を與止日女(ヨドヒメノミコト)という。神功皇后の妹であるという
・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
・速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)
桂川の水上運輸の守護神とされ、「淀姫社」や「水垂(みずたれ)社」とも呼ばれていたという。
【狛犬】
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼によって、片桐且元を奉行として【本殿】が再建された。しかし、【本殿】は慶安2年(1649年)頃には建て替えられたという。
明治時代になると郷社に列せられている。
明治35年(1902年)6月に桂川の河川敷拡張工事に伴って、【與杼神社】は現在地である【淀城】本丸跡に移転した。
それまでの社地は【御旅所】となっている。
昭和50年(1975年)8月に重要文化財であった【本殿】が、中学生の花火遊びにより全焼したが、昭和55年(1980年)3月に再建された。
今回も、予定していた場所はもちろん、意外な場所なんかも訪れる事が出来た、充実した『京勉会』になりました。
早速、次の目的地を目指します……………
続く…………………。