さてさて…………………

【吉田神社神社】を後にして、我々は次の目的地を目指す……………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【京都大学】の前を通過し………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ

到着したのは…………………


【百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)】
京都府京都市左京区田中門前町103


浄土宗の大本山の寺院。

かつては『知恩寺』と呼ばれていたが、現在、宗教法人としての名称を【百萬遍知恩寺】としている。

念仏を称えながら大数珠を操る『百萬遍大念仏操り』が有名である上差し


【慈照寺(銀閣寺)】エリアとは違い、ひっそりと佇み、観光客もほとんど居ないびっくりアセアセ


もとは皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安時代前期に円仁が創建したもの伝えられる。

【賀茂社(賀茂御祖神社)神社】との関わりが深く、神宮寺として、御所の北、今出川にあった。


法然は度々この地を訪れていたが、法然が賀茂の河原屋に一時住んだのは、賀茂の神職から招かれたためといわれる。

法然入滅後、弟子の勢観房源智は賀茂の河原屋を継いで『功徳院神宮堂』と改め、法然の御影を安置して法然を勧請開山第一世とした。


元弘元年(1331年)第8世善阿空円の時、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により空円が念仏百萬遍お願いを行い疫病を収めたことから「百萬遍」の号が下賜され、弘法大師(空海)鉛筆の「大利剣名号」の軸と五百四十顆の大きな念珠も下賜されている。


こうして皇室の篤い帰依を受け、国家安穏を祈願お願いする祈願所となった。

弘和2年(1382年)【相国寺】が建立される際に一条小川に移された。京都市上京区油小路通一条上ルには「元百万遍町」の町名が残るというびっくり


御朱印も頂きました上差しカメラ
もちろん!!初となるお祝い


【御影堂】


【釈迦堂】
【百萬遍知恩寺】の本堂。


本尊は慈覚大師円仁の作と伝わる丈六の釈迦如来坐像である上差しカメラ


【百萬遍知恩寺】の側に、宮内庁が管轄する場所があると知る上差し

もちろん!!我々はてくてく歩いて探します…………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ




【後西天皇 皇女、皇子墓】


少〜〜し、見つけるのに苦労したけどチューアセアセが無事に到着ーーーっ!!!!


【後西天皇(ごさいてんのう)】
1638年ー1685年
日本日本の第111代天皇。


お願いお願いお願いお願い


いやいや、この日もよ〜く歩きましたチューアセアセ

我々は、いよいよこの日最後となる目的地を目指した…………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ



続く………………………。