さてさて…………………

少し遅めのランチタイムナイフとフォークを済ませたココロは、この日最後となる目的地に到着した……………ランニングアセアセダッシュ


地名である『六地蔵』の由来がある寺院だというびっくりアセアセ


【大善寺(だいぜんじ)】
京都府京都市伏見区桃山町西町24


六地蔵』のひとつである【大善寺】に残る寛文5年(1665年)の『六地蔵縁起』によると、平安時代初期に活躍した小野篁(おののたかむら)は、役人であり歌人としても知られた人物で、遣唐副使を辞退し隠岐に流されたガーンこともあるが、後に赦されて参議にまで登りつめた。


その一方で、あの世とこの世を往復できる不思議な力を持っていたといわれ、閻魔庁に仕える冥官(閻魔大王節分の補佐役)として裁判を手伝ったとの伝説を持つびっくりアセアセ


嘉祥2年(849年)、小野篁が48歳の時に熱病予防を患って危篤状態に陥りガーン冥土の世界へと赴いた際に、生身の地蔵菩薩に出会い、人間界に戻って人々を救済するように託され、奇跡的に蘇生することが出来たというびっくりアセアセ


その出来事に感動したは、仁寿2年(852年)に木幡山から一本の桜ガーベラの大木を切り出して六体の地蔵菩薩を刻み、伏見街道の入口にあたる現在の【大善寺(六地蔵)】の地に祀ったお願いお願いお願いお願いお願いお願い

 
【小野篁(おののたかむら)】


その後、保元2年(1156年)に都を往来する旅人の路上安全と疫病退散・福徳招来を願い、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が、六体のうち最初に刻まれた一躯を【大善寺】に残し、残り五躯を都に通じる主要街道の入口に六角堂を建ててそこに祀りお願い西光法師に命じて供養させたという。


ここから『六地蔵めぐり』の風習が生まれたという上差し


ちなみに、分けられた六地蔵は………………

①【大善寺】   伏見地蔵  奈良街道
②【恋塚浄禅寺】 鳥羽地蔵  鳥羽街道
③【地蔵寺】   桂地蔵   丹波・山陰街道
④【源光寺】   常盤地蔵  周山街道
⑤【上善寺】   鞍馬口地蔵 鞍馬街道
⑥【徳林庵】   山科地蔵  東海道

となっている。

今回の①【大善寺】以外は行ったことない笑い泣きアセアセ

いつかまた参拝お願いしようウインク


ココロは【大善寺】を後にし、再びてくてく歩いて京阪電車「桃山南口駅電車」から「丹波橋駅電車」へ向かい、近鉄に乗り換えて奈良へと帰っていったとさ…………電車ランニングアセアセダッシュ

ついに【伏見桃山城】まで行けたお祝い『京勉会伏見桃山城編』シリーズは無事に………………



終劇。