さてさて………………
【添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)】
奈良県奈良市三碓三丁目5-8
【狛犬】
創始年代は明らかではないが、おそらく添御県の国魂神を添御県主(姓氏録・旧事本紀に津速魂命男武乳遺命の裔)が祀っていたものであるとされる。
また、鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものともされる。
小野氏のエリア広いなあ
祭神
建速須佐ノ男命
武乳速之命
奇稲田姫之命
武乳速之命は天児屋命の別名とされ、『新撰姓氏録』では津速魂命(中臣氏の祖)の子で添御主の祖とされる。
一説によると祭神のうち武乳速之命の実名は、富雄川中域を治めていた首長である長髄彦(ナガスネヒコ)であるという
古老の口伝では…………
武乳速之命は大和の先住民の首長長髄彦(ナガスネヒコ)で、神武東征による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る先住民を説き伏せた上に自害し、これを惜しんだ遺民がこの地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。
しかし、明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り改称したという
【本殿】脇から奥に末社【福神宮】があるようだ
神宮
【福神宮】
祭神は小野福麿公。
添御主が衰えた後の奈良時代にこの地を支配した豪族小野氏の首長。
天平10年の農民一揆の際に襲われて、従者とともに殉死し、こちらの境内に祀られたという。
【本殿】
こちらは、【添御県坐神社】の【本殿】
この小野福麿公が【春日大社】の氏神である牛頭天王を勧請し、神社を創建したのが【添御県坐神社】の起源であるという説もあるという
一体いくつ説があるのか
それだけ歴史が深い証拠か
小野福麿公は、第30代敏達天皇の直系の末裔で、春日皇子や小野妹子の子孫にあたるという
それで…………『神宮』なのかな
【社務所】
こちらで御朱印も頂けそうだ
その奥には「龍神」が住む池かな
これは、意外と今までノーマークの神社でしたが、奈良らしい雰囲気がある古社でした。
また時間帯を考えて再訪します
ココロは駐車場へと戻った……………
続く…………………。