さてさて………………

【八木家住宅】のほぼ向かいにあるのが我々の次なる目的地上差し

到着したのは……………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【旧前川邸】
京都府京都市中京区壬生賀陽御所町49

江戸後期の天保年間(1831年〜1845年)に当時の当主前川荘左衛門義陳の子が壬生の八木重次郎家を相続し、次代より姓を八木から前川と改めて壬生の前川家は誕生立ち上がるした。


 幕末の文久3年(1863年)3月、壬生【前川邸】の向かいにある【八木邸】を最初の屯所にしていた『新選組』は、隊士の増加に伴い手狭となったことから、【前川邸】や【八木邸】北隣の【南部邸】にも出入りするようになり、元治元年(1865年)3月10日に【西本願寺】へと移転されるまで2年間『新選組』の屯所として使用された。


上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印

こちらも、【壬生寺】【八木邸】同様2018年11月24日以来、約5年ぶり2回目の訪問となる………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ

【前川邸】は総坪数が443坪、土蔵を抜いた273坪の平屋建で、部屋は12間、畳数にして146畳もあり、近藤勇土方歳三といった『新選組』の幹部たちは【八木邸】ではなく主にこの【前川邸】を拠点としていたとも言われている。


そして、『新選組』の屯所となった2年もの間【前川邸】には隊士にまつわる様々な出来事が起こった。

文久3年(1863年)芹沢鴨が暗殺されたガーン事件の際には、土方らは芹沢一派が島原から戻り、部屋の明かりキラキラが消えるのを見届けてから【八木邸】に討ち入ったナイフといい、事件後の葬儀は【前川邸】で行われたお願いと伝わっている。


さらに、その年の暮れには水戸派の生き残りであった野口健司が【前川邸】の綾小路通に面した一室で切腹しガーン、翌元治元年(1864年)6月5日に発生し『新選組』の名を一躍有名にした「池田屋事件」の端諸となった古川俊太郎への拷問は、【前川邸】の東の土蔵上差しカメラで行われたガーン

※蔵は通常未公開のためえーんアセアセ写真上差しカメラはネットから拝借しておりますチュー


この他にも元治2年(1865年)2月23日には、古参の隊士であった総長山南敬介が脱走の罪で捕らえられ、恋人ニコニコ明里と格子戸越しに最期の別れを交わしたえーんアセアセ後、坊城通に面した一室で切腹したガーンことでも知られる。


はい!!!!

【旧前川邸】を出たすぐにあるお店上差しカメラ
※写真上差しカメラはネットから拝借しておりますチュー

「金つば」の【幸福堂】

明治元年創業の本家の分家で、【壬生寺】の参詣者に一休みお茶お団子していただくお店として創業したのがはじまりとか。

もちろん!!!!

入りまーーーーーす!!ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


おっ!!!!


誠まんじゅう」@180円(税込)

やはりこれは買わねば口笛


少しづつやけど「金つば」も一緒に購入上差しカメラウインク


【金つば】
江戸時代、京都で発祥した「金つば」。
@各180円(税込)

艷やかでふっくらした皮が軟らかい北海道極上小豆、粘りが強く保水性に優れている丹波産寒天、上品な甘さの沖縄産砂糖、味を引き締める沖縄天然塩、これらの素材の邪魔をしないよう風味を最大限引き出し時間をかけて旨味成分をじっくり浸透させる昔ながらの製法。


「金つば」は家族お母さんお母さんお母さんにお土産。

帰宅後、ココロお父さんは「誠まんじゅう上差しカメラを………………


頂きまーーーーーーした!!!!お願い

』の字がちょっと薄くなってたけどチューアセアセアセアセアセアセ

美味しかったですウインク

せっかくなんで、最後に芹沢鴨が暗殺された日に飲んでいたという日本酒京都の花街のひとつ上差し【島原】まで我々は行くことを決め、再びてくてくと歩き始めた……………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ



続く…………………。