さてさて………………

【壬生寺(みぶでら)】
京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31


【芹沢鴨 平山五郎の墓】


そして、2023年7月。

新選組』結成から160年にあわせて、副長の土方歳三の胸像が建立されたのだ!!

今回のハイライトひとつだ上差し

それは、【近藤勇之像】のすぐ近くにあった。


【土方歳三之像】

制作された像はブロンズ製で、台座を含めた高さはおよそ2メートル、和服姿のりりしい顔立ちが表現されている上差しカメラ

やっぱりカッコイイねーーーーっ!!!!上差し


【土方歳三(ひじかたとしぞう)】
1835年ー1869年
幕末期の幕臣、新選組副長。
蝦夷島政府陸軍奉行並。

もちろん本物もカッコイイ!!!!上差しカメラ


新選組』時代には、局長近藤勇の右腕筋肉として組織を支え、現代では「鬼節分の副長」の通称が有名である上差し

戊辰戦争では、旧幕軍側指揮官のひとりとして各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任じられて指揮を執った。

明治2年(1869年)5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった函館【五稜郭】の防衛戦で戦死したえーん

享年34。奇しくも盟友近藤勇と同じ享年であった。

榎本軍が降伏したのは、そのわずか6日後の事だったというえーんアセアセ


この銅像の設置には、クラウドファンディングで募った寄付札束が活用された。

目標金額(1,500万円)を大幅に上回る、約2,100万円を調達したというびっくり

やはり土方歳三人気はスゴイ!!!!びっくり

制作を担当したのは、三重県志摩市出身の立体造形家のタナベシン氏だ上差し


土方歳三は、死の直前に小姓を務めていた市村鉄之助に遺髪と写真カメラを渡し「日野の家族の元に届けてくれ」と命じる。

それに対し市村は「私はこの地で討ち死にする覚悟でやってきました。誰か別の者に命じて下さい」と拒否NGした。

それを聞いた歳三は「断るとあらば、今この場で討ち果たす!!ナイフ」と鋭い眼光プンプンを向けて言い放った。その歳三の気迫に圧されて市村は首を縦に振った。

日野に旅立つ時、市村は窓に人影が写っていることに気付く。「誰かは解りませんでしたが、おそらく先生(土方)だったろうと思います」と語り残している。

その後、市村は日野宿の佐藤彦五郎の元に遺髪と写真カメラを無事に届けたという。


【壬生寺歴史資料室】

【阿弥陀堂】の地下に設けられている。


【寺務所】

御朱印はこちらで頂ける上差しカメラ


新選組巡礼限定」のだんだら模様入りの御朱印もとても魅力的やけど……………チュー

書き置きのみかチュー

500円かチュー


うーーーーーーんチュー


少し迷ったけどチューアセアセ

やはり!?!?前回と同じ御本尊の御朱印を頂きました上差しカメラ



続く……………………。