さてさて……………


ココロはマップを片手にてくてく歩く………ランニングアセアセダッシュ


少し迷子ぐすんになりながらも、無事に到着したのは……………


【藤原俊成墓所】
京都府京都市伏見区深草願成町


おおーーーーーーーっ!!!!

お願い


【藤原俊成(ふじわらのとしなり)】
1114年ー1204年

平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流、権中納言藤原俊忠の子。


はじめ勧修寺流藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。

法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。

千載和歌集鉛筆』の撰者として知られる。


そして、次の目的地へ向かう道中には…………

【伏見人形 丹嘉】
京都府京都市東山区本町22丁目504


伏見人形は、江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い京都玩具。

全国で90種類以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないと言われるほど土人形の元祖であり、民族的な美しさを誇っている。

当時、伏見街道沿いには約60軒もの窯元が軒を連ねたが、現在では寛延年間(1750年頃)創業の窯元【丹嘉】のみであるというびっくりアセアセ


その起源は、昔々歴史に名高い野見宿禰の後裔にあたる土師氏が統括して土師部(土で色々なものを造る人)に土器を造らせていた。垂仁天皇の時代に朝廷より土師職に任命され、伏見深草の里に住んで土器・土偶(土人形)を創り出し、ここに生まれたのが伏見人形であるという。


伏見人形の代表的なものは、【稲荷大社神社】の祭事祭に使われる耳土器をはじめ、お使姫のお狐さんや饅頭喰い上差しカメラ、チョロケン、玉、でんぼなどがある。


現在残っている原型、土型は2000種類ほどで往生の風俗伝説を人形に表現したものがほとんど。

ユーモアに富んだ面白さ、豊かな味、そしてひとつひとつに滲み出る庶民的な素朴さは、日本人のみならず海外の人々にまで親しみを持たれる。

西行も 牛もおやまも 何もかも
 土に化けたる 伏見街道       一休禅師

良く『京都検定鉛筆』の問題にも出てくるので備忘録的にチュー

さてさて………………

ココロは次なる目的地を目指して、まだまだてくてく歩く……………ランニングアセアセダッシュ

そろそろお腹も減ってきたなあ笑い泣きアセアセ



続く…………………。