ココロの次の目的地は、京阪『東福寺駅』のすぐ前にも石碑があったあの場所だ。
てくてく歩いて、入口まで無事に到着ーーーーっ
美しく整備されているのが良く分かる
緩やかな昇りとなる石畳をてくてく歩いて進む…………
おっ
見えてきたぞーーっ
まず到着したのは…………………
【崇徳天皇皇后聖子 月輪南陵】
第75代天皇崇徳天皇の皇后(中宮)藤原聖子(ふじわらのせいし/きよこ)の御陵だ。
【藤原聖子(ふじわらのせいし/きよこ)】
1122年ー1182年
近衛天皇の養母。
摂政関白太政大臣藤原忠通の長女。
母は北政所従一位藤原宗子(権大納言藤原宗通の娘)。
神聖な空気が漂う参道。
到着したのは…………………
【仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)】
1218年ー1234年
日本の第85代天皇。
順徳天皇の第三皇子。
母は中宮立子(東一条院。九条良経の娘)
践祚はしていたが即位礼を行う前に「承久の乱」によって皇位を廃された。
歴代の天皇の中で、在位期間が最も短い天皇である
健保6年(1218年)10月10日、中宮所生の嫡出の皇子として誕生し、生後1ヶ月の11月26日に立太子。
父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(いわゆる承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され、4歳で践祚。
同年、祖父の後鳥羽上皇が「承久の乱」を起こしたが、北条義時の遣わした義時率いる幕府軍に敗北
後鳥羽上皇・順徳上皇はそれぞれ隠岐・佐渡に、乱に関与していなかった土御門上皇も自ら望んで土佐に配流された
7月9日に幕府の手によって懐成親王(仲恭天皇)は皇位を廃され、高倉天皇の第二皇子である守貞親王(後高倉院)の皇子茂仁王(後堀河天皇)が即位した。
ここからの【京都タワー】の眺め好きだなあ
そして、京都も盆地であることが良く理解出来る
さてさて、ココロは次の目的地を目指しまだまだ歩く………………
続く…………………。