さてさて………………

【六請神社神社】を出発したココロ…………ランニングアセアセダッシュ


【真如寺】前を通過します……………ランニングアセアセダッシュ


【真如寺(しんにょじ)】
京都府京都市北区等持院北町61

臨済宗相国寺派の寺院。


大本山【相国寺】の山外塔頭。山号は萬年山。
本尊は宝冠釈迦如来。
勧請開山は無学祖元
【鹿苑寺(金閣寺)】、【慈照寺(銀閣寺)】とともに【相国寺】の3つの山外塔頭を構成する。
五山十刹にも数えられていた。

そんな【真如寺】の前を通り……………ランニングアセアセダッシュ

次の目的地を目指したのだが……………


ここかーーーーーっ!!チューアセアセダッシュ

一回通り過ぎたけどチューアセアセアセアセアセアセ


この細い道上差しカメラを進むようだびっくりアセアセアセアセアセアセ

無事に到着したのは………………ランニングアセアセダッシュ


【堀河天皇火葬塚】
京都府京都市北区等持院東町


【堀河天皇(ほりかわてんのう)】
1079年〜1107年
日本日本の第73代天皇。



白河天皇の第三皇子。母は藤原師実の養女で白河中宮の賢子


応徳3年(1086年)11月26日、立太子と同日に8歳で父の白河天皇から譲位され即位した。

このような短期間での立太子・即位は、異母弟の輔仁親王(摂関家に冷遇された三条源氏の系譜)に皇統が移ることを避けるための白河天皇の強い意向によるものだったというびっくりアセアセ


堀河天皇は「未代の賢王(続古事談)」と評される賢帝として知られた。

関白藤原師実との提携による朝政にも熱心に取り組み、『天が下治まりて、民安く世のどかなり』といわれた。

しかし、白河院の政務への関与が再び強まると、天皇の興味は趣味の世界に移っていった。叔母にあたる中宮篤子内親王の薫陶を受け、学問・和歌・管弦に才能を発揮して廷臣らに慕われたが、生来病弱で、在位のまま宝算29で崩御されたえーんアセアセ


ちょっと中は良く見えませんでしたお願いチュー目アセアセ

かなり歩いてきてしまったので、どうやって帰ろうか!?チューと悩みながら歩いていると…………ランニングアセアセダッシュ


ちょうど「京都駅電車」行きのバスバスが来たので、ココロは飛び乗ったウインク


ちょっと歩き疲れていたので、助かった口笛

【京都タワー】が見えてきたぞーーっ!!上差しカメラ


無事に「京都駅電車」に到着ーーーーっ!!電車ランニングアセアセダッシュ

この景色上差しカメラを眺めながら一服タバコして口笛


ココロは、奈良へと帰っていきましたとさ。

『京勉会金閣寺に行こう』シリーズ…………ランニング電車アセアセダッシュ

京都検定受験日鉛筆は、間もなくだびっくり上差しアセアセダッシュ



終劇。