さてさて……………

ココロが到着したのは……………ランニングアセアセダッシュ


【建勲神社(たけいさおじんじゃ)神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49


【船岡山】の中腹に鎮座する。

正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「建勲(けんくん)さん」と通称されるびっくりアセアセ

「けんくんじんじゃ」が正しい読みと思ってたチューアセアセ


織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀お願いする。

境内にはあの『人生五十年…………』の石碑もある上差しカメラ


明治2年(1869年)11月8日、『日本が海外に侵略されなかったのは、天下統一を目指して日本日本をひとつにまとめた織田信長のおかげ』として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を称えるための『健織田社(たけしおりたのやしろ)神社』の創建が明治天皇より決定された。


【社務所】

こちらで御朱印上差しカメラが頂けるウインク


何種類あんねーーーーん!!びっくりアセアセアセアセアセアセ


破産してしまうのでてへぺろ今回は基本の御朱印を頂きました上差しカメラ

もちろん初となるお祝い

『でかした』と織田信長に誉めてもらった口笛


美しく整備された境内おねがい

明治3年(1870年)10月17日、『建勲』の神号を賜り、信長の子孫で天童藩知事織田信敏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に【建勲社神社】が造営された。


【手水舎】

現在地の【船岡山】は、【平安京】の四神相応の玄武に位置し、完成しなかったとはいえ豊臣秀吉によって信長の廟所【天正寺】の境内地に定められた場所であったびっくりアセアセ


その【船岡山】に神社神社を移すことになり、明治13年(1880年)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。

この時は、現在の表参道を少し登ったところに【本殿】があったようだ。


【狛犬犬


明治14年(1881年)に織田信忠が合祀お願いされている。

明治43年(1910年)に、社殿が現在の山頂部分に移建されたびっくり


高台にある境内からは、特に大文字山・比叡山方面の眺望が良いおねがい


主祭神  織田信長
配祀神  織田信忠


織田信長の業績にちなみ、国家安泰難局突破大願成就にご利益のある神社神社とされる。


【本殿】


戦後、近代社格制度の廃止に伴い、昭和23年(1948年)に神社庁の別表神社に加列されたが、令和元年(2019年)に神社本庁から離脱したというびっくりアセアセ

何があったのかな!?!?!?


良い天気太陽でさらに素晴らしい眺め上差しカメラを堪能したココロは【船岡山】を下山し、次の目的地へと向かった………………ランニングアセアセダッシュ



続く…………………。