さてさて…………

【陽成天皇陵】を出発した我々が、徒歩数分で到着した次なる目的地は………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


数段の石段を登った場所にある………………


【後一条天皇 菩提樹院陵】
京都府京都市左京区吉田神楽岡町


宮内庁上の形式は円丘。


【後一条天皇(ごいちじょうてんのう)】
1008年〜1036年。
日本日本の第68代天皇。

一条天皇の第二皇子。


母は藤原道長女中中宮彰子

その誕生の様子にっこりは、「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生は、その後の一族の栄華の初花チューリップとなる。


三条天皇の譲位(長和5年/1016年)により践祚、2月7日に数え8歳で即位。

幼帝のため道長が摂政となり権勢を振るった。

道長の娘で叔母にあたる、九つ年上の威子を中宮とし(外戚の地位を藤原氏御堂流以外に渡すまいという藤原頼通と母彰子の意向による)、この時代には珍しく他の妃を持たず、皇子女は内親王ふたりのみで世継ぎの皇子には恵まれぬまま、数え29歳で崩御したえーんアセアセ


栄花物語』によると、飲水と痩身の症状の記載鉛筆があり、糖尿病によるものと考えられている。

突然の崩御ガーンアセアセであったため、譲位の儀式が間に合わなかったと『左経記』にある鉛筆えーんアセアセ

日本紀略』や『今鏡』では遺詔により、喪を秘して弟の敦良親王(後の後朱雀天皇)への譲位の儀を行ったとされている。

これが、在位中に天皇が崩御した場合に喪を秘して譲位の儀を行い、その後に上皇としての葬儀が行われるようになった先駆とされる。


この日だけで、4つの『天皇陵』を巡ることが出来たお願いお願いお願いお願い

時間は16時前。

時間的に【岡崎神社神社】参拝お願いは、諦めようかチューと話をしていたら、違う神社の鳥居神社が我々の前に現れたびっくりアセアセ



続く………………。