さてさて…………………


我々はついに『京都一周トレイル』東山コースの最終目的地に設定した目的地に到着した……………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【粟田神社(あわたじんじゃ)神社
京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1

『京の七口』のひとつである粟田口に鎮座し、古くから旅立ち守護の神として崇敬を集めており、現在でも旅行飛行機に出発するに際し絵馬馬を奉納したり、お守りを買い求める人がいるという上差し


平安時代、清和天皇の時代の貞観18年(876年)春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵衛災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上されたガーンアセアセ


【感神院新宮の扁額】

そこで直ちに勅が発せられ、全国の諸神に御供えをして国家と民の安全が祈願されたお願いお願いお願い

その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として【感神院祇園社神社(現:八坂神社神社)】に七日七晩丹精を込めて祈願されたお願いお願いお願い

あっ!!!!

【扁額】上差しカメラの意味が少し理解出来たぞっ!!


【狛犬犬

その満願の夜、興世の枕元にひとりの老翁おじいちゃんが立ち、おじいちゃん「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げされた。


興世は「このように云われる神は、如何なる神ですか!?」と尋ねると………

老翁おじいちゃんは「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ」と言って消えてしまったびっくりアセアセ

興世は夢とは思わず、神意なりと朝廷に奏上し、勅命により直ちにその地に社神社を建てて御神霊をお祀りしたお願いという。


【御神馬馬

また一説には、孝昭天皇の分かれである粟田氏がその地を治めていた時に、氏神として創建したとも伝わる。

この後、【粟田神社神社】は【青蓮院】の鎮守社となっている。


【拝殿】

この神社は【感神院祇園院】と同じく素戔嗚尊、大己貴命を祭神とするところから『感神院新宮(かんじんいんじんぐう)』と呼ばれていた。


【本殿】

また『粟田天王宮』とも称されたが、明治時代になり【粟田神社神社】と改称されて府社に列せられた。


【狛犬犬


祭神

素戔嗚尊
大己貴命


寒いけど、凛とした空気がいい境内ラブ


良い場所に鎮座している。


10月の体育の日前日に行われる世渡り神事、体育の日に行われる神幸祭、10月15日に行われる例大祭を総称して『粟田祭(あわたぐちまつり)祭』と呼ばれる。


粟田祭祭』の始まりは、長保3年(1001年)旧暦9月9日の夜、ひとりの神童が【祇園社神社】に現れて神人に「今日より7日後に【祇園社神社】の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げられ、7日後の9月15日、お告げ通り瑞光が現れた。その瑞光が現れた場所がこの地であり、これが『粟田祭祭』の始まりとされる。

祇園祭祭』の山鉾は、この【粟田神社神社】の『粟田祭祭』の剣鉾が原型とも言われているという。その話は次回にウインク


【社務所】にて御朱印を頂くウインク


御朱印も頂きました上差しカメラ
粟田口の文字が良いウインク
もちろん初となるお祝い



続く…………………。