さてさて……………

【晴明神社神社】を出発し、ココロは次の目的地を目指して歩く……………ランニングアセアセダッシュ


【京都市考古資料館】
途中で遭遇。この日は計画したスケジュールがあるので、外観だけ上差しカメラチューアセアセ

そして、到着したのは………………ランニングアセアセダッシュ


おお〜〜〜〜〜〜っ!!!!

到着〜〜〜〜〜〜っ!!!!


その場所は、『源義経(牛若丸)奥州へ旅立ちの地』。


【首途八幡宮(かどではちまんぐう)神社
京都府京都市上京区智恵光院通今出川上ル

首途(かどで)はなかなか読めないよねチューアセアセアセアセ


【宇佐神宮神社】から八幡大神を勧請したのが始まりと伝わる。


元の名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)神社」といい、【平安京】の大内裏の東北(鬼門)に位置したため、王城鎮護の神とされた。


桃園親王がこの地に邸宅を建て、境内地に桃の木を植えたりして、諸人の崇敬の篤い神社神社として、天皇家からも深い信任を得ていた。


【源義経奥州首途之地 石碑】
参道にありました上差しカメラ


【二の鳥居神社


【手水舎】

かつて、この地には奥州で産出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったと伝えられる。


承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て【鞍馬山】からこの地に赴き、道中の安全を祈願お願いして出発したといわれている。


「首途(かどで)」とは「出発」を意味し、この由緒により【首途八幡宮神社】と呼ばれるようになった。


【拝殿】

このことから、特に旅立ち、旅行安全飛行機の神として信仰を集めているお願い


主祭神
誉田別尊(応神天皇)
比咩大神
息長帯姫命(神功皇后)


書き置きの御朱印が準備されている上差しカメラ


ちょうど財布には300円の小銭コインたちの持ち合わせがなく笑い泣きアセアセ

【社務所】でお声かけすると、快く対応してくださったおねがい


無事に御朱印を頂けました上差しカメラ
もちろん初となるお祝い

ちなみに金売吉次とは、『平治物語』によると、義経の郎党の堀景光の前身が、この金売吉次であるとも云われる。


※写真上差しカメラはネットから拝借しましたチュー

実際に吉次なる人物が実在したかどうかは不明であるが、当時東北地方が金を産出し、それを京で取引きしていたのは明らかになっている。吉次なる人物のように金を商っている奥州からやって来た商人がいた事は想像に難くない。したがって現在では、こうした商人の群像の集合体が「金売吉次」なる人物像として成り立ったのではないかと考えられている。

義経と奥州藤原氏を繋いだ男金売吉次の墓は、福島県や栃木県にあるというびっくりアセアセアセアセアセアセ



続く………………。