さてさて………………

【藤白神社神社】の駐車場からすぐ向かいにある場所。


そこが我々の次なる目的地……………ランニングランニングランニングアセアセダッシュ


正面入口までは、少〜〜〜し歩きます…………ランニングランニングランニングアセアセダッシュ

なんと、【藤白神社神社】でガイドして下さったMさんが、その場所までわざわざ同行して下さったチュー


その場所は、【小栗街道】沿いにある上差しカメラ


徒歩数分で到着したのは…………………


【鈴木屋敷(すずきやしき)】
和歌山県海南市藤白448

全国に200万人はいると言われる鈴木氏の総本家である場所なのだ上差しびっくりアセアセ


熊野信仰を広めた神官の一族である「藤白鈴木氏」がかつて居住していた屋敷であり、全国で二番目に多い『鈴木』姓の発祥の地とされる。


【義経 弓掛松】

「鈴木屋敷復元の会」によると、「藤白鈴木氏」がこの一帯に屋敷を構えるようになったのは、平安時代末期の1150年頃だというびっくりアセアセアセアセアセアセ


【藤白神社神社】にある鈴木氏の系図によれば、「伊弉諾命(イザナギノミコト)」から始まって、昭和17年(1942年)に病死された最後の当主鈴木重吉氏まで122代続いたというびっくりびっくりびっくりアセアセアセアセアセアセ

我が国日本の歴代天皇も現在が126代目。ほとんど変わらんやんびっくりびっくりびっくりアセアセアセアセアセアセ


その最後の当主鈴木重吉氏が昭和17年(1942年)に病死えーんアセアセし、「藤白鈴木氏」の嫡流が断絶した後も、その屋敷上差しカメラは残された。


しかし、次第に老朽化や台風被害が目立つようになるえーんアセアセ

※写真上差しカメラは、復元前の【鈴木屋敷】ネットから拝借しておりますチュー

復元構想は、何度となく浮上するものの、膨大な工事費用札束がネックとなっていたチューアセアセ


平成25年(2013年)5月22日に開催された『第7回全国鈴木サミット&鈴木フォーラム』において、全国に200万人ほどいるとされる「鈴木さん」に、朽ち果てた【鈴木屋敷】復元のための寄付が呼びかけられた。

自動車車メーカー「スズキ」の鈴木修会長兼社長もフォーラムに参加し、「スズキの海外進出」と題した基調講演を行ったという。


平成27年(2015年)に、屋敷を含む神社境内などが国史跡に追加指定されたことを受け、海南市教育委員会が周辺一帯の保存活用計画を文化庁に提出。

屋敷を文化財として復元することが可能になり、総額1億5000万円札束とされる事業費の約6割を国、県、市が負担することになった。


残りの6000万円札束ほどは神社負担チューアセアセとなるため、その分に充てるため関係者が企業版ふるさと納税に注目し、令和元年(2019年)1月から募集を開始した。


復元は、屋敷を描いた鉛筆江戸時代の地誌『紀伊国名所図会』を参考にすることとし、同年中に解体工事を実施した。

その後、令和3年(2021年)8月に起工式が、翌令和4年(2022年)5月14日には上棟式が挙行された。

復元された屋敷は令和5年(2023年)3月に完成お祝い
4月1日からは一般公開も開始された。

建物内には、鈴木氏や熊野古道に関する資料を展示する施設が設けられ、講演会などにも利用されているという。


この紀伊半島のひとつの苗字にすぎなかった鈴木姓が広がったのは何故なのか!?!?!?びっくりアセアセ

それは、全国各地に3000以上もある【熊野神社神社】の熊野信仰お願いという山岳宗教によるという。
 

神官である鈴木一族が、布教先に住み着いて次々と【熊野神社神社】を建立したため、鈴木一族は各地に広がっていったといわれるびっくり


【鈴木屋敷】案内
開館時間 10:00〜16:00
拝観料  300円
休館日  月曜日と火曜日(休日の場合は除く)
     年末年始


この屏風絵上差しカメラは、画家もしていた最後の当主鈴木重吉氏が描いたというびっくりびっくりびっくりアセアセ


【鈴木屋敷】は、1969㎡の敷地に座敷棟、玄関棟などからなる建物と池泉庭園、前庭から構成されている。


建物の一部は、江戸時代の後期に建てられたもので、池泉庭園は室町時代末期と考えられている。

江戸時代の『紀伊国名所図会』に描かれた鉛筆敷地内の配置や建物の様子は、大きな改変を受けることなく現在に受け継がれた。


ところで「鈴木」姓の由来については!?!?!?

熊野では、その昔、稲刈りの後に刈り取った稲を田んぼに積み上げ、それを「穂積(ほづみ)」と呼んでいた。


そして、積み上げた稲の上に一本の棒を立て、翌年の豊作を祈るお願いのだが、その棒を「すすき」という。

穂積(ほづみ)稲叢(いなむら)ススキ鈴木(すすき)


ここに穂積氏流鈴木一族が誕生した。

鈴木一族の本拠地は、熊野新宮周辺であるが、やがて藤白(ふじしろ)湊に移って【藤白神社神社】の神官となり、鈴木党を形成した。

この鈴木党が鈴木姓の中心的存在となり、代々藤白を拠点として発展したという。

色々勉強になった鉛筆口笛


【瓦井】


ちょっと良く瓦が見えなかったチューアセアセアセアセアセアセ


自分が、もしも鈴木姓であったならテンションが上がる右上矢印右上矢印右上矢印話だなあおねがいおねがいおねがい

そして、テンションの上がる右上矢印右上矢印右上矢印場所おねがいおねがいおねがい


急遽、こちらに来たけれど有間皇子鈴木家発祥の地……………良い場所を選んだと大納得の三人でした。

さてさて、【藤白神社神社】【有間皇子墓】【鈴木屋敷】としっかりと時間を費やしたウインク

そろそろランチタイムナイフとフォークラーメンとしますか!?!?ウインク



続く………………。