さてさて……………
【大避神社(おおさけじんじゃ)】
兵庫県赤穂市坂越1297番地
後編です
秦河勝(はたのかわかつ)の祖である秦氏は、3世紀頃に大陸より倭国へ渡来した氏族であり、秦河勝は飛鳥時代の族長的人物として聖徳太子の同志として活躍した人物である。
【拝殿】
京都最古の寺とされる【広隆寺】を建立、聖徳太子より賜った「弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)」を安置したとされる。
【広隆寺】近隣には【大酒神社】があるが、神仏分離政策に伴って【広隆寺】境内から分散し遷座したものとされ、こちらが『大避(大酒)』と云われる由縁のひとつであるという。
こちらが頂いた御朱印
もちろん、もちろん初となる
日付は書いて下さいました
『宮司さんは代々受け継がれているのですか』
『はい。三代目になります。』
『秦氏の末裔の方ですか』
『いえ、そうではございません。』
なんて、会話がありました。
その【神門】の向こう側に見えるのは、秦河勝の墓があると伝わる【生島】だ
なんと、計算されたようなこの配置
古代の人々に敬意を抱く。
さてさて、我々は駐車場に戻りがてら、出来るだけ秦河勝が眠る【生島】へと近づいてみることとした…………
続く…………。