2023年3月2日


この日は、午後から【京都南座】に予定があり、少〜し早めに入洛した。

ココロが下車したのは、市営地下鉄「今出川駅電車」だ上差しカメラランニングアセアセダッシュ


はい!!!!

この界隈上差しカメラをてくてく散策します…………ランニングアセアセダッシュ

ここから『京勉会南座編』シリーズランニングアセアセダッシュの始まり始まり〜〜〜〜っ!!!!


まずはじめに到着したのは…………


【相国寺(しょうこくじ)】
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入
相国寺門前町701

特別拝観は3月24日〜6月4日みたい笑い泣きアセアセ

しかし、ココロが来たかったのは境内に気になる場所。また絶対行きたいお願いと思っていた場所があるからだウインク

まずひとつめは…………


【後水尾天皇歯髪塚(はつしつか)】
桃山時代から江戸時代の第108代後水尾天皇の歯髪塚と呼ばれる陵がある。


この地には、もともと承応2年(1653年)に後水尾上皇によって再建された大塔があり、その上層部に崩御された後水尾上皇の歯と髪を納めていた。

しかし、天明8年(1788年)の「天明の大火炎」で焼失えーんアセアセしたため、この塚上差しカメラが造られたという。


【法堂】

【相国寺】は、足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第二位に列せられている。

また、五山文学の中心地であり、画僧の周文雪舟は【相国寺】の出身である。

さらに、京都の観光名所として著名な【鹿苑寺(金閣寺)】、【慈照寺(銀閣寺)】は【相国寺】の山外塔頭(さんがいたっちゅう)であるというびっくりアセアセ


そして、ココロが【相国寺】で一番訪ねたかった場所に到着ーーーーーっ!!ランニングアセアセダッシュ


【宗旦稲荷社(そうたんいなりしゃ)神社


千宗旦(せんのそうたん/千利休の孫/現代に続く三千家の父祖)に化けていた狐・宗旦狐を祀るお願い神社神社


ある時、【相国寺】で千宗旦の茶会お茶が開かれた。

宗旦の見事な点前は、出席した茶人たちはもちろんのこと、普段からそれを見慣れている弟子たちですら見とれるラブほどであった。

ところが後刻、宗旦が現れ、遅刻して来たことを詫びたお願い

そのようなことが何度かあり、弟子たちは宗旦がいると考え始めた…………虫めがね!?


後日、茶室に宗旦が現れたときを見計らい、弟子たちは宗旦本人が自宅にいることを確かめたうえで、偽宗旦に問い詰めた。すると偽宗旦は素直に自分が偽物であることを明かし、自分は寺の藪に住む古狐であり、ずっと宗旦の点前に憧れていたラブので、いつか自分もそのような点前をしてみたかった、もう二度と悪さをしないと詫び、狐の姿となって逃げ去った………ランニングアセアセダッシュ

弟子たちは宗旦狐の腕前に感心し、狐を追うことはなかった。


時は流れて幕末………。

宗旦狐は雲水に化けて【相国寺】で勉強鉛筆をしていた。他の雲水たちと共に座禅を組み、托鉢に回り、時には寺の財政難を立て直すべく力を尽くした。

門前の家で碁を打つこともあった。碁に熱中するあまり、狐の尻尾(しっぽ)を出してしまうこともあったが、人々は狐の正体を知りつつも付き合っていたという。

かわいく素敵な話ラブ


ある年の盆。

門前の豆腐屋が資金難から倒産寸前に陥っていた。宗旦狐は蓮の葉をたくさん集めて来て、それを売って金お札コインたちに換えて大豆を買うよう勧めた。豆腐屋はそのお陰でお店を立て直すことができた。

お礼をしようと考えた豆腐屋は、狐の大好物である鼠の天ぷらを作って宗旦狐に贈った。しかし、宗旦狐は、それを食べると神通力が失われると言って遠慮した。とはいうものの目は大好物に釘付けで、つい我慢できずにそれを食べてしまったびっくりアセアセ

途端に宗旦狐はもとの狐の姿に戻り、それを見た近所の犬たち犬犬犬が激しく吠え始めたガーンアセアセ
狐は咄嗟に藪の中に逃げ込んだが、慌てたために井戸に落ち、命を落としてしまったというえーんアセアセ
(別説では猟師に鉄砲銃で撃たれたや、自ら死期を悟って別れの茶会お茶を開いたともいう。)

【相国寺】は寺のために尽くしてくれた宗旦狐の死を哀れみ、【宗旦稲荷】として祠を築き、狐を僧堂の守護神とした。そうして、現在も【相国寺】境内に祀られているお願い

ちょっと怖く感じるときもある狐が、かわいく感じる伝説だおねがい



続く……………。