さてさて…………

午後に訪問予定の古墳を目指して北上していた我々は、久々にこちらに立ち寄ることとした………車ランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【天理市立黒塚古墳展示館】
奈良県天理市柳本町


館内にあった地図上差しカメラ
改めて古墳の多さに感心。

さらに、『まだ行けてない古墳もあるなあ』なんて話もしてましたウインク


平成9年(1997年)から翌年にかけて、奈良県立橿原考古学研究所が行った第3次発掘調査虫めがねで、三角縁神獣鏡33面とそれよりも古い画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見されたことで知られる。


【黒塚古墳】に隣接する【天理市立黒塚古墳展示館】では、竪穴式石室の実物大模型や…………


全銅鏡のレプリカなどが展示されている上差しカメラ


【黒塚古墳(くろつかこふん)】

平成13年(2001年)に国指定の史跡に指定されている。


形  状:前方後方墳
規  模:全長130m、高さ11m
築造時期:3世紀後半


【黒塚古墳】には墳頂まで上がる事が出来るランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【黒塚古墳】は、室町時代後期に楊本氏(やなぎもとし)が古墳を利用して砦を築き、後に十市氏との争いで没落。その後、戦国時代に松永久秀が古墳に「柳本城」を築き、後に織田信長臣下になり乱死えーんアセアセ

江戸時代信長の弟織田長益(有楽斎)の5男尚長が分知で柳本藩に。寛永年間に柳本城址に柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁とし、その一部に【黒塚古墳】を取り込んだ。堀を転用して石垣も造成。江戸時代末まで続く。


【墳頂】上差しカメラ

戦国時代から近世・幕末まで、武家以外は【黒塚古墳】には自由には立ち入れなかったため、盗掘を防いだのではないかという説がある上差しチュー

なるほど上差しウインク


石室は竪穴式石室


やはり古墳は眺めが良い場所に築造されている上差しカメラ目


ここから見ると前方部がよく分かる上差しカメラ目

西暦260年すぎ(3世紀中葉?後葉)には造営されていた可能性が高いといわれる【黒塚古墳】は、奈良県桜井市の【箸墓古墳】、京都府木津川市の【椿井大塚山古墳】、岡山県岡山市の【浦間茶臼山古墳】などとともに『出現期古墳』と総称される。


尚、【黒塚古墳】、【椿井大塚山古墳】、【浦間茶臼山古墳】は【箸墓古墳】のちょうど2分の1に企画された前方後円墳である可能性が高いと考えられるという………びっくりびっくりびっくりアセアセ

我々は、展示館で見たまだ訪れてない古墳を次の目的地とし、さらに北上した…………ランニングランニングランニング車アセアセダッシュ


続く……………。