さてさて……………
中世、後宇多法皇が徳治3年(1308年)に【東寺】に帰依され、西院(御影堂)にこもって真言教学の研鑽につとめられ東寺興隆を発願された。
この頃の【東寺】は、西院の弘法大師像を中心に、新しい出発をしており、頼宝、亮禅ら真言界でも傑出した学僧を輩出した。
【客殿】は、国宝。
さらに、驚いたのは床の間に、宮本武蔵蔵筆といわれる『鷲の図』があったのだ。
【八大神社】参拝より、それほど日数が経ってないこの巡り合わせにビックリ
二羽の荒鷲が、今にも飛びかからんとする様が的確に描かれており、その鋭い筆致は他の追随を許さない。また襖画『竹林の図』は、竹があたかも交差する二刀のように張りつめた緊張感で描かれ、二刀流宮本武蔵の心意気が感じられる。
残念ながら、内部は撮影禁止だった
そして、五大虚空蔵菩薩像ともご縁を頂いた。
虚空像とは、無尽蔵、広大無辺の知恵を無尽に蔵していることをいう。我が国には、求聞持法(この菩薩を念じて記憶力を得る法)の虚空法として伝えられ、空海も一説にはこの法を勤操より受け、真言密教を開く足がかりとしているという。
五大虚空像は、その知恵を五つに表したもので、息災増益の祈願のための本尊となっている。【観智院】の五大虚空像は、唐の都長安の【青龍寺】金堂の本尊であったもので、847年入唐僧恵運が請来したものであるという。
その表情は、確かにココロが今まで見てきた仏像のものとは違い、宋代彫刻に見られる傾向があるようで、造られた晩唐期の彫刻様式であるようだ。
貴重な仏像を見る事が出来た
ここまで、来たら『京都検定』の過去問に出ていたあの場所にも行きたい
ココロは、次の目的地へと向かった………
続く……………。