さてさて……………

ココロは【豊国神社神社】を出発した………ランニングアセアセダッシュ


【京都国立博物館】の前を通過して………ランニングアセアセダッシュ

博物館の本館は片山東熊による設計で、煉瓦造平屋建て、フレンチルネサンス様式の建物である。


向かうは【豊国廟】であるのだが………ランニングアセアセダッシュ


途中【豊国神社神社】の神職おじいちゃんさんに、お勧め頂いた場所に立ち寄ることとした………ランニングアセアセダッシュ


到着したのは……………ランニングアセアセダッシュ

【新日吉(いまひえ)神宮神社】 
京都府京都市東山区東山七条東入る

何も知らなければ「しんひよし神宮神社」と読んでしまいますねチューアセアセ


【狛犬犬

創建当時、神殿は七つの神座を備え、廻廊がめぐらされて壮麗を極めていたという。
また、新日吉の社を護る別当として【比叡山延暦寺】の妙法院を祇園社西の地に移された。
その後、室町中頃の「応仁の乱カブトナイフ」「文明の役カブトナイフ」などの度重なる戦火炎や、戦国の世の乱れに伴って衰退したえーんアセアセ


【随神門】

桃山時代に「日吉の社の北社地」に【豊国社神社】と、その東の油が峰に豊臣秀吉の御廟が造営されたが、徳川時代になり廃止されたえーんアセアセ


その参道上に後水尾天皇の勅命を受けて妙法院堯然法親王(後水尾天皇実弟)により、新日吉の社が新たに造営遷座され、往時をしのぶ盛観を仰ぐようになった。


明治30年(1897年)の豊臣氏ゆかりの旧大名家による【豊国廟】の復興に伴い、【新日吉神社神社】はやや南西方の現在地に移転した。


【手水舎】

昭和33年10月16日に法住寺陵より後白河天皇の御神霊を迎え、本殿に合祀お願い
天皇奉祀神社として神宮号が公許された。


祭神
【本殿】
後白河天皇

【山王七社】
大山咋命
妃神賀茂玉依姫命
大己貴命
田心比売命
菊理比売命
大山咋命荒御魂
賀茂玉依姫命荒御魂
※日吉山王七柱を総じて『日吉大神』と称す。

【相殿】
素盞鳴尊
大年神(大山咋命の祖父神・父神)


【狛猿猿
真猿(まさる)猿は、大神の御使者で信者の災禍を「去る(サル)」という不思議な働きをされるというびっくり

真猿・魔去る・勝るとも称され、常に御幣を捧げて悪気を祓い、凡ての災厄を退けて、幸福を授けられるお願い


境内摂社【樹下社(このもとのやしろ)神社
祭神 豊臣秀吉公

秀吉の旧姓「木下藤吉郎」を樹下神(賀茂玉依姫)の神名に隠して、徳川幕府の監視を逃れたと伝わるびっくり

この話は、当時の知恵だなあ。
こんな話好きだなあウインク
こうして、当時の人々のその思いや心は継承されるんだ!!おねがい大切なこと。


御朱印も頂きました上差しカメラ
はい!!こちらももちろん初となりますお祝い

御朱印にも『真猿猿』たちが描かれている上差しカメラ猿猿猿猿猿


【本殿】背後には樹齢500年以上といわれる『すだじい』上差しカメラ

【豊臣神社神社】の神職おじいちゃんの方に、良い神社神社を教えて頂き、「ご縁」を頂くことが出来たウインク
ありがとうございます!!!!!!

さてさて、いよいよココロは当初からの目的地【豊国廟】へと向かう…………ランニングアセアセダッシュ



続く…………。