さてさて…………

【渡月橋】を出発ランニングランニングランニングして、間もなく我々は鳥居神社を見つけた………目びっくりアセアセダッシュ

到着したのは…………


【大井神社(おおいじんじゃ)神社
京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町36

祭神
宇賀霊神(うがみたまがみ)


創建は不詳たが、一説として秦氏が葛野大堰を築きこの地を開拓した際に「治水神」として祀ったお願いのが創祀ともいわれるが、明らかでない笑い泣きアセアセ

また『日本三代実録』貞観18年(876年)7月21日条に見える「山代大堰神」をこの社に比定する説もあるが、これも明らかでない笑い泣きアセアセ

現在の【社殿】は、【野宮神社神社】の旧社殿が移築されたものだという上差し


続いて、我々は次なる目的地へと到着した………ランニングランニングランニングアセアセダッシュ


【天龍寺(てんりゅうじ)】
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68



まずは、御朱印を頂いた上差しカメラ


【天龍寺】の本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。

足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。


「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されている。


【大方丈と曹源池】


本尊より庭園チュー
素晴らしい日本庭園ラブ
いかにも京都らしい寺院だウインク


足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが【天龍寺】である。


【後醍醐天皇聖廟多寶殿】

足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた『建武の新政』に反発して天皇に反旗を翻した人物であり、対する天皇は尊氏討伐の命を出している。いわば「敵(かたき)」である後醍醐天皇の崩御に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた夢窓疎石であった。


寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が寺の南の大堰川(保津川)に金龍龍が舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改められたという。


【後醍醐天皇/大河ドラマ 太平記より】上差しカメラ

寺の建設資金調達のため、『天龍寺船』という貿易船(寺社造営料唐船)を仕立てられたことは有名である。

落慶供養は、後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。



続く…………。