さてさて………

我々が次に到着したのは、【津城跡】に鎮座する……ランニングランニング


【高山神社(こうざんじんじゃ)神社
三重県津市丸之内27−16


織田信長の弟、信包(のぶかね)が藩主の頃の安濃津まちは僅か五万石の小さな城下町だった。


【手水舎】

慶長13年(1608年)藤堂高虎が伊予(四国)の今治から津に移封され藩主となった。

高虎は自ら先頭に立って「城」を中心とした町づくりに努めた。


【狛犬犬

武家屋敷は城の北、西、南側とし、東には町屋を配置した。町外れを通っていた「伊勢街道」を城下へ近づける一方、岩田川の水を堀川により城下へ引き入れ、水、陸による交通の便をはかり、人の交流、物資の運搬を盛んにし、津のまち発展の基盤を整備した。

のち津藩は一躍三十二万(津・伊賀を合わせ)の大城下町となった。


安濃津の開祖、藤堂高虎の諡名(おくりな)が『高山居士』であったので、高虎を祀るお宮の社号を【高山神社神社】とされ、津の氏神として市民の方々から広く篤い信仰を受けているお願い


『出世酒 高虎日本酒

津のまちを拓いた藤堂高虎を祀る【高山神社神社】は、当初は藩主である藤堂家内に祀られていたが、明治9年9月13日、政府の許しを得て、社を津市下部田に建立された。


明治36年10月4日
津城内(丸ノ内本丸)に【高山神社神社】を遷座。
お城の中のお宮さんとして広く親しまれた。


昭和20年7月
米軍による津市大空襲により神社神社は全壊し、境内は焦土と化したえーんアセアセ


昭和45年4月5日
津市都市計画復興事業の実施に伴い、現在地(津城の内堀埋立地)に御社殿を遷座、現在に至っている。


御朱印も頂きました上差しカメラ
もちろん初お祝いとなりますウインク
手書きが嬉しいおねがい


冬の日没は早いえーんえーんアセアセ
Nさん、そろそろ奈良に帰りますかチュー


【伊賀ドライブイン】

こちらで休憩して、奈良に帰りました……車アセアセ

この日は、オリックスvsヤクルトの日本シリーズ野球第5戦。神戸に帰ってきたオリックス野球

Nさん試合開始テレビには、絶対間に合うようにお送りしますね………ランニングランニング車アセアセ


Nさんをお送りすると、家内お母さんから次女お母さんを迎えに行ってあげてと連絡があった。

ココロ足長っ上差しカメラてへぺろ


友人お母さんお母さんとイルミネーションを見て目いて、帰りが遅くなったようだウインク

そんな次女お母さんをピックアップして帰宅ウインクラブラブ

『建武中興十五社 三重編』シリーズ………車ランニングランニング


終劇。