さてさて…………
【武烈天皇(ぶれつてんのう)】
第25代天皇。
父は仁賢天皇、母は雄略天皇の皇女春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)。
仁賢天皇が崩御すると、大臣の
平群真鳥(へぐりのまとり)は好き放題に政治を行うようになっていた
また、真鳥の子の鮪(しび)は、武烈天皇が娶ろうとしていた影媛と通じ皇太子(当時)に恥をかかせた。
怒った武烈天皇は臣下の大伴金村の兵をおくり鮪を抹殺し、真鳥も殺害した。
その後、即位し金村が大連となる。
『日本書紀』の記事などから武烈天皇は、暴虐な振る舞いが多い「悪王」とされているが、それらの記事は「書紀」の歴史観にもとづく創作で史実ではないとも見られている。
陵の形状は山形。
蒲生君平の『山陵志』は、奈良県大和高田市築山の【築山古墳(磐園陵墓参考地)】を比定したが、安政の陵改めではこれを否定。幕末には諸説分かれて修陵出来ず、明治22年(1889年)現陵が治定されたという。
大伴金村は、越前にいた応神天皇の五世の孫大迹王(おおどおう)を迎え、継体天皇が即位した。
『万世一系』…………大きなポイントがここにあるようだ
この後、ココロ家の墓掃除をした。
そこからの眺め
未来について考えておく事も必要だな
『大和天皇陵巡り』シリーズ…………
終劇。