さてさて…………


続いて到着したのは…………車ランニング


この日もいい天気太陽ウインク右上矢印右上矢印右上矢印


まだ7月の話。この時は、2021年8月が梅雨のような天気傘雷傘雷が続くことを、まだ知らないチュー


【武烈天皇陵】
奈良県香芝市今泉

こちらも、確か二回目の訪問になるかな!?お願いチュー





【武烈天皇(ぶれつてんのう)】
第25代天皇。


父は仁賢天皇、母は雄略天皇の皇女春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)


仁賢天皇が崩御すると、大臣の平群真鳥(へぐりのまとり)は好き放題に政治を行うようになっていたプンプン

また、真鳥の子の鮪(しび)は、武烈天皇が娶ろうとしていた影媛と通じ皇太子(当時)に恥をかかせた。
怒った武烈天皇は臣下の大伴金村の兵をおくりを抹殺し、真鳥も殺害した。

その後、即位し金村が大連となる。


『日本書紀』の記事などから武烈天皇は、暴虐な振る舞いが多い「悪王」とされているが、それらの記事は「書紀」の歴史観にもとづく創作で史実ではないとも見られている。


陵の形状は山形。

武烈天皇の陵は、この陵上差しカメラとは別に、奈良県北葛城郡広陵町大塚にある宮内庁の【大塚陵墓参考地(新山古墳)】が候補であると言われている。


蒲生君平の『山陵志』は、奈良県大和高田市築山の【築山古墳(磐園陵墓参考地)】を比定したが、安政の陵改めではこれを否定。幕末には諸説分かれて修陵出来ず、明治22年(1889年)現陵が治定されたという。


しかし、宮内庁管理下にあるこの陵は「古墳として造営されたものでなく、単なる自然丘」という見解が学会における一般的な見方で、陵そのものの実在を疑う意見もあるというびっくりえーんアセアセ


武烈天皇は、皇子も皇女ももうけないまま崩御したえーんアセアセ

大伴金村は、越前にいた応神天皇の五世の孫大迹王(おおどおう)を迎え、継体天皇が即位した。

『万世一系』…………大きなポイントがここにあるようだえー


この後、ココロ家の墓掃除をした。
そこからの眺め目

いつの世も、故人を想い葬られる場所は眺めが良い目場所である上差しカメラ

あっ!!びっくりアセアセ
ココロは次男だチューアセアセ

未来について考えておく事も必要だなチュー


『大和天皇陵巡り』シリーズ…………


終劇。