【多聞地蔵】
古来より、この地より信貴山への参拝者
が多く、坂根(坂上・坂下)地区には信貴山への道標が今も多く残されているという。
『多聞』の名前の由来は定かではないが、
松永久秀が築城した『多聞城』からして、やはり松永久秀に因んで名付けられたのであろうか
花崗岩製で保存状態良好なお地蔵さん。
説明文には、下部に記念銘があるという。
(右)弘化三午年
(中央)三界萬霊
(左)七月建
時刻はまだ15:30。
まだ行ったことのない神社
に参拝
するために、我々は途中離団することとした。
【多聞橋】
多聞地蔵のすぐ前に架かる橋。
元は木橋→石橋→コンクリート潜水橋→そして現在の銅製の永久橋と変遷している。
現在は学校の敷地内にあるため、ココロもまだ行ったことのない【多聞城跡】を見学するのだ
参加された皆様もありがとうございました
来月の再会を楽しみにしておりまーーす
【講師 天野忠幸先生】
1976年兵庫県生まれ。大阪市立大学卒業。
大阪市立大学院終了。
主な著書に『戦国期三好政権の研究』『三好一族と織田信長』『松永久秀と下克上』『室町幕府分裂と畿内近国の胎動』などがあり、今や戦国時代研究を第一線でリードする。
天野先生
続く……………。