【松永久秀 供養塔】【伝 松永久秀 墓】を訪れた後、我々が次に到着したのは………ランニングランニングランニング


【多聞地蔵】

古来より、この地より信貴山への参拝者お願いが多く、坂根(坂上・坂下)地区には信貴山への道標が今も多く残されているという。


『多聞』の名前の由来は定かではないが、松永久秀が築城した『多聞城』からして、やはり松永久秀に因んで名付けられたのであろうか!?


花崗岩製で保存状態良好なお地蔵さん。
説明文には、下部に記念銘があるという。

(右)弘化三午年
(中央)三界萬霊
(左)七月建


この日のイベント『松永弾正を知る』も、いよいよ後はJR王寺駅まで歩きランニングランニングランニング解散パーというところまで来た。


時刻はまだ15:30。

まだ行ったことのない神社神社に参拝お願いするために、我々は途中離団することとした。

王寺町観光協会の方、天野先生に御礼お願いと離団を旨をお伝えした………ランニングランニングランニング


【多聞橋】
多聞地蔵のすぐ前に架かる橋。

元は木橋→石橋→コンクリート潜水橋→そして現在の銅製の永久橋と変遷している。


次回の第二回『松永弾正を知る』は、来月10月だ!!テーマは「多聞城と松永久秀」上差し

現在は学校の敷地内にあるため、ココロもまだ行ったことのない【多聞城跡】を見学するのだ!!

これは、楽しみーーーーっ!!チュー


その【多聞橋】を渡り、この日一日ご一緒した参加された方々ともお別れとなるえーんえーんえーん


参加された皆様もありがとうございました!!
来月の再会を楽しみにしておりまーーすおねがい


【講師 天野忠幸先生】
1976年兵庫県生まれ。大阪市立大学卒業。
大阪市立大学院終了。
主な著書に『戦国期三好政権の研究』『三好一族と織田信長』『松永久秀と下克上』『室町幕府分裂と畿内近国の胎動』などがあり、今や戦国時代研究を第一線でリードする。

天野先生!!
この日は、一日ありがとうございました!!お願い


まだ行ったことのない神社神社に向かって、離団し三人となった我々は、まだまだてくてくと歩く………ランニングランニングランニング



続く……………。