【来迎院】から続いて我々が到着したのは………ランニングランニングランニングランニング


【泉涌寺(せんにゅうじ)】
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

そして、ちょうど『第54回京の冬の旅』
霊明殿・御座所の特別公開中だウインク右上矢印右上矢印右上矢印

『来迎院』に立ち寄ったため『霊明殿』からの拝観となったチューお願いお願いお願いお願い


皇室からも篤く信仰された御寺【泉涌寺】

【泉涌寺】を御寺(みてら)と称する理由は、皇室の菩提寺・香華院であるからに他ならない。


鎌倉時代、父帝・御堀河上皇の観音寺陵につづき、仁治3年(1242年)正月25日に四条天皇を泉涌寺月輪陵へ奉葬して以降【泉涌寺】と皇室御葬礼との関係が始まった。

 
【霊明殿唐門】

威厳と気品を感じるおねがい
スゴいなあ………日本人日本の技術力の高さにはいつも感心するチュー

いやっ!!………

もう感動と言った方が良いかもウインク


『いい仕事してますねぇ〜ルンルン

中島誠之助風てへぺろ(笑)


【唐門 】から白砂の庭の向こうに見えるのが【霊明殿】目上差しカメラ

重厚な入母屋造り檜皮葺き、すべて尾州檜材で造られた建築物だびっくりびっくりびっくりびっくり

品格の塊だなチュー


【霊明殿】とは、歴代天皇の御尊碑(位牌)をお祀りした場所の通称だが『泉涌寺』の『霊明殿』は皇室の御崇敬において他に異なるものがある。


現在の『霊明殿』は、明治17年に明治天皇の思い召しにより宮内庁が再建したもの。


【御座所(ござしょ)】
皇族の御陵『霊明殿』への参拝お願いに際し、休憩されるための場所だ。

現在の御座所は、霊明殿再建にあわせて明治天皇の思い召しにより旧「皇后御里御殿」を移築したもの。

一棟の中は6室に分かれ、南側に「侍従の間」「勅旨の間」「玉座の間」、北側に「女官の間」「門跡の間」「皇族の間」となっている。

「玉座の間」は一段高くなっており、特徴ある違い棚が見られる目


【御座所庭園】
京風の美しく整備された庭園だおねがい


ここで数年前に、Kさんに連れてきて頂いた時の記憶が甦るチュー


この『水琴窟』……菊の御紋がデザインされているやんおねがいおねがいおねがいおねがい


そして、いよいよ我々は………

【霊明殿】内殿へ………ランニングランニングランニングランニング

殿内は内陣・中陣・外陣に分かれ、内陣は5室の御厨子となっている。それぞれ御扉を設け、中央御扉内には四条天皇御尊像と御尊牌をはじめ、明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后(※皇室祭祀令の定める前四代)の御真影・御尊碑が奉安全されている。

それ以前の天皇・皇后・門院方の御尊碑は左右の御扉内に、さらに左右には親王・内親王の御尊碑がずらーーーーーーっと並んでいたびっくり

平素は非公開だ。いいタイミングでの参拝お願いとなったウインク右上矢印右上矢印

3月18日までご覧いただける!!皆様も是非ウインク


【霊明殿】の御朱印も頂けましたっおねがい右上矢印右上矢印

さてさて、我々は次なる目的地へ向かう。
【泉涌寺】は見所たっぷりだっびっくりびっくりびっくりびっくり



続く……………。