【吉城園】を出発した我々は、予定では【東大寺】に向かうべきところだが、すぐ近くにあるこの場所にココロのワガママでアセアセ立ち寄ってもらったランニングランニング

Nさんすみませーんアセアセ

吉城園より徒歩2分……ランニングランニング


【入江泰吉(いりえたいきち) 旧居】

奈良県奈良市水門町49番地の2

【入江泰吉】写真家カメラ。1905年(明治38年)、奈良市生まれ。終戦後、疎開先から戻ってきた仏像を東大寺法華堂前で目撃。仏像などはすべて米国に接収されるとの噂に、貴重な文化財を写真に記録することを決意。以後は奈良大和路の風景・仏像・行事などを撮ることに専念した。

1992年(平成4年)、86年の生涯を閉じた。


この旧居は、入江泰吉が戦後から亡くなるまで暮らした場所。

ここで、文豪・志賀直哉、画家・杉本健吉・随筆家・白州正子らと交流したという。

今回は時間の関係上、場所の確認だけとした。
また【入江泰吉記念奈良市写真美術館】とセットでゆっくり訪れたいなっウインク


さて12月16日……

特別な日……

それは東大寺初代別当良弁(ろうべん)僧正の命日にあたり、東大寺の各お堂の『国宝』の特別開扉があるのだ上差し 

まさに『国宝祭り祭』だーーーっ!!


鹿………『んっ??何っ??国宝祭り??

【東大寺】の境内に入り、我々がまず真っ先に目指したのは………ランニングランニング



【法華堂(三月堂)】
 
法華堂(国宝)は『東大寺要録』に天平5年(733年)の創建と記され、現在東大寺に残っている最古の建物として知られる。

毎年旧暦三月に法華会が開かれたことにちなんで【法華堂】と呼ばれるようになった。


堂内には、御本尊の不空羂索(ふくうけんさく)観音立像を中心に合計10体の仏像が立ち並び、そのすべてが奈良時代に造られたもので国宝に指定されている。

ココロは、この法華堂と新薬師寺の本堂なら何時間でも居られるくらい大好きな場所だラブ


そして、12月16日は秘仏である【執金剛神(しゅこんごうじん)立像】が年に一度だけ特別開扉される特別な日なのだ。

到着したのは、13時頃。
平成最後の年の12月16日は、ちょうど日曜日にあたり、たくさんの行列が出来ていた。


堂内は当然写真は撮影禁止なので【執金剛神立像】の写真をネットから拝借チュー

ココロも生まれて初めてご縁をいただいた執金剛神立像。
ちょうど御本尊である不空羂索観音像の背中の後ろに小さな厨子があり、その中に安置されていた。

秘仏であり、年に一回の特別開扉との事で保存状態が良いためか、左腕あたりには色彩が現在もハッキリ残る。


上差し前日夜に、知人Sさんが貴重な資料を送って下さった。

ちなみに、Sさんもこの日東大寺にお越しになっており、この拝観後少し会う事が出来た。
Sさん、いつもありがとうございます。



新薬師寺の十二神将のひとつでもある『伐折羅(ばさら)』も天平時代の作製時の色を再現していたが、この執金剛神立像も同じような画像があり頂いたびっくり



天平時代の力強さと美しさが再現されているびっくり


Sさんは、著名な美術史家の先生に師事されており、その先生の考えはもちろんだが、Sさん自身も熱心に研究活動をされている。

上差し
先生は日本の仏像などの彫刻を美術的な観点から西洋のものとの比較研究などもされ、あくまで信仰の対象である仏像が、世界にも誇れる美術品であることも研究・発表されている。

執金剛神像とミケランジェロ。
フォルムが同じだーーーっびっくり

古来よりの日本人の技術の高さが理解出来る。


その先生は、不明である作者にも作風などの特徴から推測をされている。

上差しの資料の右の三枚の写真は、左から執金剛神立像・新薬師寺の伐折羅像・戒壇院の増長天。
並べてみると、確かに口元や眉間あたりの特徴は極似しているびっくり

普段それぞれは見ていても、並べて見ることがないから…こうして見ると比較しやすいね。


【執金剛神】御朱印もいただけたチュー

この【法華堂】は、幼くして亡くなった聖武天皇の皇太子(基親王)の菩提を弔うために設けられた山房をもとに発展した寺院と考えられている。

聖武天皇は皇太子を守るために、この勇ましく、力強い執金剛神を祀られたのであろう。

ともすれば、恐怖すら感じる執金剛神の表情からは、いつの世も変わらぬ親から子への『無償の愛』を感じ優しい気持ちに包まれた。



我々は次の目的地へ向かった……ランニングランニング



続く………。