我々は笠山荒神社を出発し、桜井市立図書館前にある等彌神社へ向かっていた
桜井市出雲地区にさしかかった時、F先輩が「あっ、そういえばこの辺りに面白い狛犬の神社があるで」って。
ココロ・Nさん
「何それーーーっ行きましょーーーっ」
って流れで到着したのが……………
十二柱という名前の通り国常立神(くにとこたちのかみ)など神世七代の神々と、天照大神など地神五代の神、あわせて十二柱の神々を祀る。
境内には鎌倉時代初期の野見宿禰の五輪塔もあるのだ
また野見宿禰は埴輪作りの祖ともいわれ、出雲地区の水野家では凹形の型に粘土を詰めて素焼きし、あとで彩色するという、手作りの人形【大和出雲人形】が作られている。
そんな野見宿禰にちなんだこの【十二柱神社】の狛犬の特徴はなんと………
狛犬の台座に、相撲取りの人形が4人ずつで大きな狛犬を支えているのだーーっ
よいしょーーーーーっって相撲取り…
見えるかなっ
【第25代武烈(ぶれつ)天皇】
489年~506年
「日本書紀」の記事などからは武烈天皇は、暴虐な振る舞いが多く「悪王」として知られているが、それらの記事は「日本書紀」の歴史観に基づく創作ともいわれ、史実であるかは疑わしい。ここ列城宮で崩御されたと伝わるが、実在の人物かどうかについても議論がある。
武烈天皇の暴虐
◆妊婦の腹を掻っ捌き、胎児を取り出す
◆生爪を剥がして、素手で芋掘りをさせる
◆人を木に登らせて、その木を切り倒したり、弓で狙い撃ちする
◆女性を裸にして馬と交わらせる
酷すぎるーーーーっ
しかしこの暴虐は「日本書紀」には記述があるものの「古事記」には記載がない。
奇しくも、この後に行く桜井市立図書館の講座の演題が「継体天皇大和に凱旋す」であり、継体天皇は第26代天皇で武烈天皇の次の天皇だ。
武烈天皇は子供をもうけないまま崩御されたため、大伴金村は越前にいた応仁天皇の五世の孫を迎えようとしたが、力不足という理由で辞退された。それでも金村たちの説得で継体天皇は即位した。
一説にはこの継体天皇で天皇家の【万世一系】が途絶えたとも云われる。
「日本書紀」では、この継体天皇への皇位継承への正統性を表現するために、武烈天皇を暴君に仕立て歴史を改ざんしたのであろうか
【武烈天皇泊瀬列城宮跡】
いやあ、古代を感じるいい神社に参拝出来た
しかし、笠山荒神社から下りてきた下界は(笑)暑いーーーーっ
汗だくの我々はスケジュール通り、桜井市立図書館へ向かう前の最後の目的地である【等彌神社】に向かった
ちょっともう我々おじさんメンバーたちは、この暑さに完全にバテ気味である(笑)
けど…………
まだまだ続く………………