廣瀬神社
奈良県北葛城郡河合町大字川合

鎮座地は、日本書紀に「廣瀬乃河曲(かわはら)」延喜式には「廣瀬の川合(かわあい)」と記載されており、佐保川・初瀬川・飛鳥川・曽我川・高田川など大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に祀られている。

その字の通り、川が合う地。川合びっくり

「河相宮縁起」によると、祟神(すじん)天皇が天津神や国津神を祀り始めた頃に、「水足池(みずたるいけ)のほとりに藤時という里長が住んでいた。

ある日の夕方、藤時が家の門の外に立っていると不思議な容貌をした人が現れ…

「池を平坦に埋め立ててやるので、その上に社檀を建立するように」

と言葉を残し立ち去った…


翌朝、藤時が池に行ってみるとその言葉通り、一夜にしてこの「水足池が平らな陸地と化していたびっくり

驚いた藤時がこの事情を公家に奏聞すると直ちに勅命が下り、そこに社殿を建てたのが廣瀬大社の由縁であると縁起は伝えている。

 
御祭神

主神 若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
相殿 櫛玉命(くしたまのみこと)
   穂雷命(ほのみかづちのみこと)

若宇加能売命は水の守り神として、五穀豊穣をもたらす神とされる。


境内には三輪山への遥拝所がある。
今は近隣に建物も増えたが、以前はこの穴から覗くとちょうど三輪山が見えたという富士山



雨上がりの廣瀬神社。
今まで何度も参拝しているが、これほど霊気を醸しているのは初めてだっおねがい


とにかく神々しいおねがい

しかも誰も居ない貸し切り状態がまた、空気が乱れずに肌に当たって良いーーーっウインク




砂かけ祭(御田植祭)
毎年2月11日に行われる。
拝殿前に青竹を四方に立て、田圃に見立て、その内にて田作りの作業を行う。この農作業を行う田人(百姓)・牛と参詣者とが砂をかけ合いをする。
砂を雨に見立て、激しくかけ合う程その年は水に恵まれ、豊作になるといわれている。

右矢印幼少時代は毎年通っていたなぁおねがい

取材に来ている、レポーターやカメラマンに後ろから、思いっきり砂をかけるのが楽しみでしたてへぺろ


こんな話もある。

持統天皇が廣瀬大社に参詣された時に、地面に落ちた橘の実を犬が食べたところ、たちまち狂い始めた。
この事を怪しんだ持統天皇がその子細を占わせると、それが橘神の祟りであることが分かったという。

そのため、河合の森の犬はその後一切、橘の実を食べないという。このようないわれもあり、現在廣瀬神社の社紋には「が用いられてる。


拝殿



本殿

平成12年に修復工事が完了し、彩色や彫刻が見事に蘇った。


縁起では廣瀬神社が建っているところに「水足池」があったと記されている。

その「水足池」の奥底には龍宮があると言われ、そこは龍王の棲む池でもあったという龍


現在も拝殿横には池がある。

宮司さん曰く、これが水足池だという。
龍龍龍

龍宮を探したくなるやん口笛

しかし、浦島太郎になってしまっても困るから(笑)…
今回は我慢だっチュー



以前のブログで書いた池田潤さんの著書「龍神の暗号(コード)」によると…

三輪山山頂から夏至の日没を眺めると太陽は生駒山方面へと沈んでいくが、その方位軸上に廣瀬神社が位置している。廣瀬神社からは、冬至の朝日が三輪山の山頂から昇ってくるのを眺めることができる。

とある。


あっびっくり


あの穴空き遥拝所っびっくりびっくりびっくりアセアセアセアセアセアセ

廣瀬神社を祀る河合という場所は河川が一点に集まる場所であると同時に、大和の神奈備山である三輪山から聖なる冬至の朝日が昇ってくるのを、直接遥拝出来る特別な場所だったのである富士山


そこは「水の聖地」であり、「太陽の聖地」でもあった。



境外には饒速日命(にぎはやひのみこと)社があるらしいびっくりびっくりびっくり

これはどこにあるのか!?

風主さん知ってたら教えてねウインク

ちなみに饒速日(ニギハヤヒ)は物部氏の祖神であり、社家樋口氏はその末裔だというびっくりびっくりびっくり

兎にも角にも、歴史深いこの神社の近くで人生の約半分を過ごしていた事に感謝である。