人間は罪人だというのは魂の事を言ってるのでなく、魂の周りのエゴの事。
本当の私の魂が罪人だというのではない。
(人間)肉体の中に魂がある。
周りのエゴのサタンに攻撃されて生まれた気持ち=私なんて価値がない。他人と比べる。妬む。怒り。etc
それは、本当の私の声ではない。
創世記に人間を作った神の事が詳細に書かれている。
土から自分に似せて創造され
最後に息を吹きかけて生命を宿させる。
そしてよく出来た!と喜ばれた。
聖書にも人間は神の一部だと書いてるのに
いつからか
その教えが歪んできた。
イエスキリストはエゴが自分そのものだと感じてる人間を救ってくれる方。
エゴで罪だと、自分を攻撃している人間を救う。その罪を贖ってくれる。
全て重荷をおっている者は私のところに来なさい。と言われてる
本来の神と繋がった魂に帰らせてくれる。
ということで
人間という存在全てが罪人ではない。
罪悪感は人間の最大のブロックだと思う。
サタンはもともと、天使の頭であった。でも自分が神より上になりたくなり追放された。
私はサタンも愛に飢えているんだと思う。本当はまた神の元で安らぎたいのでは?
サタンも神が作ったし神の息吹が宿っている。
神はサタンを虐殺できるけどしない。
そこに神の愛と何か神の意図があるように感じる。
サタンは自分の仲間を増やしたがっている。
だから神と人間が繋がるのを阻止したいわけだ。。
時には、優しく 時には残酷に
私達に、アクセスしてくる。
人間がサタンにアクセスして繋がるとエゴが自分そのものだと勘違いして苦しむ。
でもサタンの声と誘惑をスルーできたら
神とアクセスし神そのものの存在であることを思いだす。
ブラームス
「四つの厳粛な歌」の伴奏を頼まれて譜読みしていたら
上に書いたことが降りてきた。
ブラームスはクリスチャンであった。
「聖書がどこにあるのか真っ暗闇の部屋でもわかる」と、言っていたほど聖書を読み尽くしていた。そして愛の人だった。クララシューマンへの無償の愛。貧しい人への愛。子ども達への愛。
だけど教会には行ってなかったという。
その理由が分かった気がした。
自分で神を感じ理解していた。
そして神と共に生きていた。
それがブラームスの音楽に表れている。
私はブラームスの晩年のピアノ曲がたまらなく好き。op117 op118
また弾いてみよう!




