あがり症とは何だ?
人前で弾く→緊張する。 あがる。
緊張するとあがるは違う。
私はいつから緊張するようになったんだろう?
幼稚園の頃はなかった。
小学3年生の時までは特に緊張してなかったように思う。
自分がピアノが弾ける方だとも思ってなかったし、
発表会 ドレス着て弾く それだけ。
みたいな。
だけど4年の時 母が毎日新聞社主催の音楽コンクールに 応募して嫌々出たら優勝した時から
私の中でピアノという位置づけが変わった。
ピアノは自信のなかった私に私という存在価値を感じるための道具になった。
これまでのブログにも書いたように、自分が普通の感覚ではない。と感じていた。
感受性が強く 極度の恥ずかしがり屋で人前で話すこと。学校で手を上げて発言することも怖くてできなかった。そんな子だったから自信がもてなかった。
ピアノが自分の存在価値を感じられるための道具になったら
人前でピアノを弾く事に過大な緊張感とあがりが生まれた。失敗は許されない(私の中では)
母がみんなにちやほやされるのを喜ぶ姿を見てさらに
ピアノの弾ける私 というのは捨てられなくなり
まじで将来の夢は大ピアニストになる‼️になった。
それまで、人と競走することはなかったのに、
人と比べるようになった。
ただピアノを弾くのではなくなった。
音高、音大時代は苦しかった。もろ競争社会、、
ちょっと前に
知り合いがオペラシティのコンサートホールでピアノコンチェルトを弾いた。私は裏方でお手伝いさせてもらった。リハーサル後 舞台に立って客席を見たとき、自分が弾くわけでないのにブルブルっ 無理無理 こんなとこで弾ける人ってどうかしてる!信じられない!と思った。娘も隣にいてどんな気持ち?と
聞いてみたら「ワクワクする。身震いする。弾きたい‼️」と。
これだよ。
私はそういう器ではないのだ。
その人その人に器量がある。
それは、神様が与えてくれるものだからどうしようもできない。どんなに努力しても神様の与えて下さった賜物はその人それぞれ。
宇宙は信じて願えば、願い事は叶えてくれる。
願う気持ち、、がない!
ちゃんと自分の器量は自分がわかっているのだろう。
なのに、子どもの時 大ピアニストになる!と夢みていた。それは、私の本当の願いだったのか?違うよね?
まだ心のどこかに引きずっていたのかもしれない。大学に入ってから、とっくに諦めてたと思ってたのに。
母の望みを叶えてあげれなかった罪悪感?
宇宙から見たら 花に例えると
与えたものがスミレなのに薔薇になりたがり
なろうと努力して なれなくて苦しんでた私。(もしかして今も?)😱😂
すごいピアニスト それは宇宙が与えた賜物、才能を
具現化してるだけ。
カーネギーホールで弾く。ショパンコンクール。
私には別世界の事 みたいに感じるけど
宇宙から見たら
小さな事。小さなホールで弾くのにもビクついてる私もショパンコンクールで優勝した人も
どんぐりの背比べ。って感じなのかも。
そう思ったら
あがり症って何だ?と思える。
人間は感情を味わうために地球にきてるらしい。
なんだかんだと言ってる私。
そういう感情を味わいたいだけなのかもね。
宇宙から見たら
人間のやってることは 小いさな事。ちょこまかやってるけど
でも愛しい人間達って感じかな?
何が言いたいんだかわからなくなってきたー😆
あぁ、、
なんかいろんなこと自分で背負って
自分の首締めてるなぁ。
解放されたい、、切に願う‼️😆🤗