個人と国家と政府の関係
そもそも一般的に、国家と政府の違いというものが、どれだけ分かっているか、疑問に思えます。
むしろ、国家と政府を混同している人々(反安保、反原発に代表される方々など)も多いのではないでしょうか。
しかし、そもそも国家と政府というのは似て非なるものです。
国家とは、その字の如く、国民の家です。
また英語ではステイト、言い換えると「状態」「形態」を意味していますので、政府とは全く異なります。
では、政府とは何か?それはその国民の家たる国家の「状態」「形態」の維持、継承のために、尽力する機関なのです。
さて、民主主義国家において、その政府とはどのように決められるかと言えば、もちろん、選挙で決められるわけですが、その選挙に行くのは、当然、国民でなければなりません。
しかし、近年、過剰な権利社会、個人主義社会においては、選挙に行くのは、国の民ではなく、個人及び、個人の権利となってしまっているのが現状です。
では、そのようになってしまった場合、どうなるのでしょうか?
政府(この場合、政治家)は、その個人の意志を尊重しなければ、選挙で当選しません。
すると、政府は国家の維持、継承という大事な役目と、選挙のための個人の意志とを天秤に掛けざるを得なくなります。
個人←政府→国家
という構造になるのです。
もちろん、これは民主主義においての基本的構造であって、否定すべきものでもありません。
しかしながら、我が国の戦後思想(過度な個人主義)によって、個人の引っ張る力が増し、国家が蔑ろになりつつあります。
本来ならば、個人は、一定の公益、国益を踏まえた上で、政府を選ばなければなりません。
また、政府も、国家と個人のバランス(平衡)感覚を持つことが、民主主義が機能するためには必要なのです。
これらが機能してこそ、民主主義は健全な形として成り立つのです。
結論を申し上げますと、個人と国家は、そもそも二律背反(トレードオフ)であって、その平衡感覚をいかにして取って行けるかというのが、民主主義において、国民及び政府の一番大事なことなのです。
そのバランスを崩せば、国家(国益)を無視した政治(個人が強くなった場合)、又は、個人を無視した政治(国家が強くなった場合)という、国民国家の崩壊に繋がるのです。