保守の弱点 | ひより

保守の弱点

キャピタリズム(資本主義)というのは、シュンペンターの言う革新によって、新たな需要と利権を生んで経済を発展させていく、というものが基本だ。


そう考えたとき、伝統の継承と維持を基軸に置く保守は、否応無しに資本主義と対立せざるをえなくなる。



しかし、その基本構造を変えてしまったのが、冷戦体制だ。本来、保守より左側だった資本主義よりも、さらに左側に社会主義という軸ができてしまい、それによって、社会主義から資本主義を守るのが保守である、という誤認が生じたのである。



そして保守は、本来の伝統の継承や現状の維持という目的を喪失し、革新という資本主義に飲み込まれてしまったのである。



しかし、なぜ保守は、こうも簡単に、本来の目的を喪失してしまったのだろうか。



そこには保守の弱点というべきものがある。



それは、福田恆存が述べたように、「保守とは態度」であり、イデオロギーからは一線を置くものであるという謬見が根底にあり、革新とのイデオロギー論争が出来なかったからではないだろうか。



確かに、福田恆存の言うように、保守とは態度であることに違いはないが、そういう態度を示すには、根底に思想がなければならない。



言い換えれば、保守とは、本来、その根底に主義(イデオロギー)が介在せざるをえなかったのだ。



しかし、保守は態度という抽象的なものにとどまり、明確な思想ないしは主義を主張することはなかった。



それに対し、ハイエクの自由主義やフリードマンの新自由主義は、明確な主義がある。



それは理性主義と言うべき、合理主義である。



ハイエクの言う、「市場の自動調整機能」というべきものこそ、人間の理性に基づくものであり、合理主義そのものの肯定である。(ハイエク自身は合理主義を否定していたらしいが)




そして、その理性主義は、大衆には、極めて説得力があった。「理屈」に合う、それこそが正しいのだと、大衆は思い込んだわけだ。




それに対し、保守は明確な理論武装をすることはできない。何と言っても、保守は態度なのだ。



しかし、そこに甘んじ、それ以上の論理性を追求してこなかったからこそ、保守は革新に飲み込まれたのだと、拙者は感じてならない。



では、真性保守の復活がもし叶うのならば、何が必要なのだろうか。



一つに、伝統文化の継承がなぜ必要なのか、を論理的に説明すること。



もう一つに、実践的(プラグマティック)な政治経済の利点を明確に説明すること。



最後に、革新的な経済への疑念と危険性を打ち出すこと。




この三つは最低でも論理的に説明する必要性があるだろう。



実際、これらを漠然と、いや、情緒的にしか説明してこなかったことこそに、保守の敗北があると拙者は思うのである。



と、同時に、もしもそれらを明確かつ論理的に説明することが可能であるのならば、保守は十分、復活する可能性があると思う。