国営と民営の違いも分からない大衆人
新国立競技場を巡って、政府は人気取りのためか、大衆に媚びて「ザハ案」を白紙にしました。
では、なぜ大衆はザハ案に反対だったのでしょうか。
大きく分けると、イニシャルコスト(初期投資費)の増大と、ランニングコスト(運営費)が収益に対し、割に合わない(もしくは赤字になる)ということなのでしょう。
まずイニシャルコストの増大ですが、背景には「日本の財政難」というのがあるのでしょう。
これだけ日本は借金まみれなのに、そんな巨額な費用を掛ける必要があるのか、そういうことなのだと思います。(私はそれほど日本は財政難だとは思っていませんが)
(ここは正確を記するため、日本の借金ではなく、日本政府の借金であると訂正しなければなりません)
ちなみに民間と政府の関係において、基本、民間は倒産を避けるため、非合理な事業を行うことはほぼありません。(NPOやNGOは除く)言い換えると、合理的に動く傾向にあるのです。
しかし、世の中全体は合理的だけでは動きません。安全保障などはその最たるもので、自衛隊などは、敵国が攻めて来なければ、金を垂れ流すだけで非合理ですが、自衛隊があることで、抑止力や防衛ができ、安全に国民が経済活動に励めるわけです。
また、リニア新幹線などの長期的な開発なども同じように、民間だけの力ではなかなか難しいでしょうし、長期にわたる研究開発なども同じ事が言えているでしょう。
しかし、当然ながらそれらの投資を怠れば、国家はいずれ衰退してしまうでしょう。
そこで政府が介入し、長期的ビジョンに基づく投資や、安全保障などの非合理的なものに財政出動しなければならないのです。
言い換えると、民間は合理に基づき、短期で収益を上げ、国家(政府)は、非合理的なことを請負い、長期的に国家全体の収益が上がるようなインフラを作り上げるといった役割分担が必要になるわけです。
これは、経済学者のケインズが、合理に基づく市場(民間)が不安定ゆえに、それをリカバリーするのが政府の役目であると指摘していることからもわかるように、互いに強い相互性を持ちながら、しっかりとした役割分担があることを示しているわけです。
しかし現在は、政府を民間と同じように合理化させようという流れです。
新国立競技場撤回問題もまさに、その発想ではないでしょうか。
そうなると、誰が非合理的なことをするのでしょうか?市場が暴走したり、衰退したときには、誰がその負担をするのでしょうか?
当然、政府がそれを負担しなければ、市場の暴走や衰退を止められず、社会は不安定化してしまうでしょう。
さらにランニングコストの問題にも触れておきます。
まず、民間の競技場であれば、彼ら反対派が主張するように、赤字を垂れ流すような施設は、決して造るべきではありません。(そんなことをしたら倒産します)
しかし、国家(政府)は違います。なぜならば、新国立競技場も、その周辺(千駄ヶ谷)の飲食店や商店など利益も、全てが国家の収入(税収)に繋がるからです。
例えば新国立競技場目当てに来た客が、帰りに千駄ヶ谷の蕎麦屋に立ち寄ったとしましょう。
そうすると、千駄ヶ谷の蕎麦屋の収益は、GDPに計上され、税収として国家に一部還元されるわけで、千駄ヶ谷、いや東京全体として、今回の新国立競技場ができたことでの収益(税収)も換算できる(する)というわけです。
ここをはき違え、その施設だけで赤字だ黒字だと言っているのは、完全に合成の誤謬です。
また、イニシャルコストやランニングコストの行き先はどこでしょうか?
材料費など一部は海外からの輸入でしょうが、労働力のほとんどは日本国民が賄うことになるでしょう。いうならば、これもまた国民の収益に繋がって行くわけです。
このように、政府が建てる建造物が赤字だとしても、それに見合う以上の周囲(国民)の利益が上がれば、国家としては、決して損にはならないのです。
例を出せば,父親(政府)が息子(国民)の支援に徹して、年間100万円の赤字になったとしても、息子がその支援によって、200万円の黒字が出せれば、その家計は100万円の黒字であるというわけです。
それを父親(政府)だけの借金が増える事だけに焦点を当てる事は間違いなのです。
政府と民間には非合理と合理の役割分担がある!
政府と民間の支出はどちらもGDP!
まさに、これらこそ私たちが正しく理解しなければならない問題だと思います。