大阪都構想と全体主義
日曜日に辛くも否決された大阪都構想(正確には大阪市5分割)の住民投票。
正直、選挙速報を観ながらヒヤヒヤしたものです。
では、なぜこんな荒唐無稽な法案の選挙結果が僅差になったのでしょうか。
それをひも解くには、やはり新自由主義の全体主義化というものがキーワードにならざるを得ません。
長く続くデフレ不況の中、大衆は現状に不満を抱き、現状を打破したいという想いが募りました。いわゆるルサンチマンが募ったわけです。
その結果、「安易な解決策を打ち出す指導者」(橋下徹)に、その期待を寄せたのです。
しかし、それはあくまで「改革=善」であるだとか、「現状=悪」であるとか、漠然とした印象でしかありませんでした。
実際に、Twitterに寄せられた賛成意見も「二重行政が無くなる」「住民の意思がより反映する」「無駄がなくなる」「今のままじゃ駄目」「とりあえずやってみればいい」など、実際の大阪都構想の中身と一致するものは、ほとんどなく、どれもイメージと感情論ばかりでした。
言い換えれば、その本質は内容を精査することなく、風や空気、イメージだけが先行し、思考停止した結果、全体主義化した、それも、新自由主義という「合理主義」が人々の心に入り込み、あたかもそれが善であるかの如く吹聴された、というのが背景にあるのだと思います。
そのことについて、藤井聡氏の秀逸な投稿がございましたので、ぜひ、ここで紹介させて頂きます。
【藤井聡】新自由主義・全体主義こそ、私たちの敵の正体です。
From 藤井聡@京都大学大学院教授
5月17日、大阪市の廃止と特別区設置(いわゆる『大阪都構想』)の住民投票で『都構想』が否決されました。
これで廃止の危機にあった大阪市という一つの「共同体」が解体されずに、存続することとなりました。
この大阪市という「共同体」の存続を心から願う大阪市民の皆様にとっては、この結果は文字通り、自分たちの「共同体」を「守った」ことを意味しています。
大阪を守ることを願い続けた大阪市民の皆様方、本当に、心からの祝福を申し上げたいと思います。
ではそんな「共同体」の破壊を企図した「勢力」とはいったい何だったのかと言えば──それはつまり、「新自由主義の全体主義」だったのです。
この「新自由主義の全体主義」とは、夥しい数の人々がさながらゾンビのように「思考を停止」したうえで、機械的に新自由主義を導入していこうとする大衆社会現象です。
(『<凡庸>という悪魔』 http://amzn.to/1Jsre9O をご参照ください)
そして新自由主義とは、社会や政治・行政の仕組みのなにもかもを、「市場原理」で作り上げていこうとするものです。
つまり、それがどれだけ社会的、倫理的、道義的に好ましくないものでも、カネさえあれば何でもできるというルール(市場原理)に基づいて、あらゆる政治、行政、社会のシステムを作り直していく(改革していく)ことを目指していくのです。
ですからそうなれば必然的に、政治や行政は縮小され、切り取られたところが一つずつ「民営化」されていきます。
そして残された政治・行政の仕組みも、できるだけカネがかからない仕組みへと変革させられていきます。カネがかからない仕組みとはつまり、何でもかんでも「無駄」と切り詰め「効率化」されたシステムです。
「都構想」の背後にある思想は、徹頭徹尾、この「民営化」と「効率化」を柱とする「市場原理」のイデオロギーでした。
実際、推進派が掲げる「財政効果」の大部分を占めていたのは、地下鉄や水道の「民営化」でした。
「ワン大阪」による「二重行政の解消」も、要するに合併による「効率化」です。
これまで進められ、そして、都構想都と共に論じられた職員の削減も、補助金のカットもまた「効率化」でした。
もちろん、これらの効率化がホントにできるのか否か、二重行政がホントにあるのかどうか、それらの話のほとんどが事実と異なるもの(つまりウソ)だったわけですが、少なくとも、橋下氏が人々にアピールし続けたのは、文字通り、効率化と民営化の話、つまり「新自由主義ストーリー」だったのです。
このストーリーに、多くの大阪市民、それのみならず多くの日本人は共感を示しているのです。
なんと言っても長いデフレ不況に苦しむ多くの日本人は、その不満のはけ口を求めています。
そんな人々に、「市役所の利権にたかるシロアリのせいで皆さんは苦しい暮らしを強いられているのです!」という物語を提示すれば(実際、終盤の橋下氏の演説では、主としてこの点が繰り返されていました)、
http://nstimes.com/archives/10957.html
彼らの不満は一気に「役所と議員」に向かい、役所の「効率化」と「民営化」を一気に果たす新自由主義的な政策が人気を博すことになるわけです。
これこそが、新自由主義・全体主義の構図です。
そうした新自由主義全体主義こそが、デフレ不況に突入して以降、橋本・江田改革、小泉・竹中改革、民主党・事業仕分けが人気を博してきた社会現象の正体なのであり、それが今回の都構想騒動でもきれいに踏襲されたに過ぎません。
すなわち橋下氏は、デフレ不況と大阪の地盤沈下のダブルパンチにあえぐ大阪市民の「不満エネルギー」を、こういう新自由主義の物語で掬い取り、一気に「都構想」を実現しようとした、というわけです。
橋本・江田改革、小泉・竹中改革、民主党・事業仕分けは、残念ながら食い止めることができず、徹底的に進められ、行政と社会の仕組みは徹底的に破壊されてしまいました。
今回も同じ轍を踏むなら、都構想は実現し、大阪の行政と社会の仕組みは、徹底的に破壊されていたに違いありません。
しかし、今回だけは、首の皮一枚で、新自由主義・全体主義という嵐による大阪破壊を、ギリギリ食い止めることができたのです(!)。
もちろん、この大阪都構想を実現しようとした新自由主義・全体主義という嵐の勢いは、若干衰えただけであり、まだまだ強力な勢力を保ち続けています
例えば、
http://news.livedoor.com/article/detail/10123889/
や
http://diamond.jp/articles/-/71675?page=4
などをみれば、その「ヘクトパスカル」(台風の強さ)は、まだまだ高い水準にあることは一目瞭然。
したがって、「新自由主義全体主義との闘争」における、今回のこの小さな「勝利」ごとき、すぐに消し飛ばされてしまう近未来は十二分以上に想像できるのです。
しかし、ここまで敗戦一方であった「新自由主義全体主義との闘争」において、この勝利は、重要な出来事であるかも──しれません。
もちろん、この小さな勝利が、新自由主義全体主義に消し飛ばされてしまうのか、それとも重要な出来事となるのかは、現時点では誰にもわかりません。
しかし、いずれになるかを決めるのは、新自由主義全体主義と闘うわたしたち一人一人の戦い如何にかかっていることは間違いありません。
ついては、改めてここで、この「戦い」にその身を投じたすべての皆様方に心からの祝福を改めて申し上げたいと思います。
そして今はしばしの休息をとられんことを、そしてそれと同時に、来るべく新自由主義全体主義との闘争との次の局面に向けての心の準備を今から始められんことを、心から祈念申し上げます。
……ということで、皆様、本当にお疲れ様でした! このしばしの休息の中で、今回の戦いとその帰結(!)をとしっかりと噛み締めつつ、我々は一体何と戦い、そしてこれから何と闘わねばならないのか──それを今一度、しっかりと、共に見据えましょう。
では、皆様、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!!!
まさに、今回の都構想騒ぎの本質を鋭く突いていると思います。
しかし、今回否決されたからと言って、まだまだ新自由主義の全体主義化がこれで終焉したわけではありません。
仮に今回の結果をうけ、橋下徹という「安易な解決策を打ち出す指導者」が消えたとして、再び、そういった指導者が生まれる危険性も十分にある大衆社会という土壌があることも否めません。
一人一人が思考停止することなく、懐疑心を持って公のことを考えて行く、また新自由主義という安易なイデオロギーこそ危険であると認識する必要性が今後、迫られているのだと思います。
まだ長い戦いは続きそうですが、とりあえず大阪都構想反対に尽力した方々には、おつかれさまでしたと言いたいですね。
正直、選挙速報を観ながらヒヤヒヤしたものです。
では、なぜこんな荒唐無稽な法案の選挙結果が僅差になったのでしょうか。
それをひも解くには、やはり新自由主義の全体主義化というものがキーワードにならざるを得ません。
長く続くデフレ不況の中、大衆は現状に不満を抱き、現状を打破したいという想いが募りました。いわゆるルサンチマンが募ったわけです。
その結果、「安易な解決策を打ち出す指導者」(橋下徹)に、その期待を寄せたのです。
しかし、それはあくまで「改革=善」であるだとか、「現状=悪」であるとか、漠然とした印象でしかありませんでした。
実際に、Twitterに寄せられた賛成意見も「二重行政が無くなる」「住民の意思がより反映する」「無駄がなくなる」「今のままじゃ駄目」「とりあえずやってみればいい」など、実際の大阪都構想の中身と一致するものは、ほとんどなく、どれもイメージと感情論ばかりでした。
言い換えれば、その本質は内容を精査することなく、風や空気、イメージだけが先行し、思考停止した結果、全体主義化した、それも、新自由主義という「合理主義」が人々の心に入り込み、あたかもそれが善であるかの如く吹聴された、というのが背景にあるのだと思います。
そのことについて、藤井聡氏の秀逸な投稿がございましたので、ぜひ、ここで紹介させて頂きます。
【藤井聡】新自由主義・全体主義こそ、私たちの敵の正体です。
From 藤井聡@京都大学大学院教授
5月17日、大阪市の廃止と特別区設置(いわゆる『大阪都構想』)の住民投票で『都構想』が否決されました。
これで廃止の危機にあった大阪市という一つの「共同体」が解体されずに、存続することとなりました。
この大阪市という「共同体」の存続を心から願う大阪市民の皆様にとっては、この結果は文字通り、自分たちの「共同体」を「守った」ことを意味しています。
大阪を守ることを願い続けた大阪市民の皆様方、本当に、心からの祝福を申し上げたいと思います。
ではそんな「共同体」の破壊を企図した「勢力」とはいったい何だったのかと言えば──それはつまり、「新自由主義の全体主義」だったのです。
この「新自由主義の全体主義」とは、夥しい数の人々がさながらゾンビのように「思考を停止」したうえで、機械的に新自由主義を導入していこうとする大衆社会現象です。
(『<凡庸>という悪魔』 http://amzn.to/1Jsre9O をご参照ください)
そして新自由主義とは、社会や政治・行政の仕組みのなにもかもを、「市場原理」で作り上げていこうとするものです。
つまり、それがどれだけ社会的、倫理的、道義的に好ましくないものでも、カネさえあれば何でもできるというルール(市場原理)に基づいて、あらゆる政治、行政、社会のシステムを作り直していく(改革していく)ことを目指していくのです。
ですからそうなれば必然的に、政治や行政は縮小され、切り取られたところが一つずつ「民営化」されていきます。
そして残された政治・行政の仕組みも、できるだけカネがかからない仕組みへと変革させられていきます。カネがかからない仕組みとはつまり、何でもかんでも「無駄」と切り詰め「効率化」されたシステムです。
「都構想」の背後にある思想は、徹頭徹尾、この「民営化」と「効率化」を柱とする「市場原理」のイデオロギーでした。
実際、推進派が掲げる「財政効果」の大部分を占めていたのは、地下鉄や水道の「民営化」でした。
「ワン大阪」による「二重行政の解消」も、要するに合併による「効率化」です。
これまで進められ、そして、都構想都と共に論じられた職員の削減も、補助金のカットもまた「効率化」でした。
もちろん、これらの効率化がホントにできるのか否か、二重行政がホントにあるのかどうか、それらの話のほとんどが事実と異なるもの(つまりウソ)だったわけですが、少なくとも、橋下氏が人々にアピールし続けたのは、文字通り、効率化と民営化の話、つまり「新自由主義ストーリー」だったのです。
このストーリーに、多くの大阪市民、それのみならず多くの日本人は共感を示しているのです。
なんと言っても長いデフレ不況に苦しむ多くの日本人は、その不満のはけ口を求めています。
そんな人々に、「市役所の利権にたかるシロアリのせいで皆さんは苦しい暮らしを強いられているのです!」という物語を提示すれば(実際、終盤の橋下氏の演説では、主としてこの点が繰り返されていました)、
http://nstimes.com/archives/10957.html
彼らの不満は一気に「役所と議員」に向かい、役所の「効率化」と「民営化」を一気に果たす新自由主義的な政策が人気を博すことになるわけです。
これこそが、新自由主義・全体主義の構図です。
そうした新自由主義全体主義こそが、デフレ不況に突入して以降、橋本・江田改革、小泉・竹中改革、民主党・事業仕分けが人気を博してきた社会現象の正体なのであり、それが今回の都構想騒動でもきれいに踏襲されたに過ぎません。
すなわち橋下氏は、デフレ不況と大阪の地盤沈下のダブルパンチにあえぐ大阪市民の「不満エネルギー」を、こういう新自由主義の物語で掬い取り、一気に「都構想」を実現しようとした、というわけです。
橋本・江田改革、小泉・竹中改革、民主党・事業仕分けは、残念ながら食い止めることができず、徹底的に進められ、行政と社会の仕組みは徹底的に破壊されてしまいました。
今回も同じ轍を踏むなら、都構想は実現し、大阪の行政と社会の仕組みは、徹底的に破壊されていたに違いありません。
しかし、今回だけは、首の皮一枚で、新自由主義・全体主義という嵐による大阪破壊を、ギリギリ食い止めることができたのです(!)。
もちろん、この大阪都構想を実現しようとした新自由主義・全体主義という嵐の勢いは、若干衰えただけであり、まだまだ強力な勢力を保ち続けています
例えば、
http://news.livedoor.com/article/detail/10123889/
や
http://diamond.jp/articles/-/71675?page=4
などをみれば、その「ヘクトパスカル」(台風の強さ)は、まだまだ高い水準にあることは一目瞭然。
したがって、「新自由主義全体主義との闘争」における、今回のこの小さな「勝利」ごとき、すぐに消し飛ばされてしまう近未来は十二分以上に想像できるのです。
しかし、ここまで敗戦一方であった「新自由主義全体主義との闘争」において、この勝利は、重要な出来事であるかも──しれません。
もちろん、この小さな勝利が、新自由主義全体主義に消し飛ばされてしまうのか、それとも重要な出来事となるのかは、現時点では誰にもわかりません。
しかし、いずれになるかを決めるのは、新自由主義全体主義と闘うわたしたち一人一人の戦い如何にかかっていることは間違いありません。
ついては、改めてここで、この「戦い」にその身を投じたすべての皆様方に心からの祝福を改めて申し上げたいと思います。
そして今はしばしの休息をとられんことを、そしてそれと同時に、来るべく新自由主義全体主義との闘争との次の局面に向けての心の準備を今から始められんことを、心から祈念申し上げます。
……ということで、皆様、本当にお疲れ様でした! このしばしの休息の中で、今回の戦いとその帰結(!)をとしっかりと噛み締めつつ、我々は一体何と戦い、そしてこれから何と闘わねばならないのか──それを今一度、しっかりと、共に見据えましょう。
では、皆様、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!!!
まさに、今回の都構想騒ぎの本質を鋭く突いていると思います。
しかし、今回否決されたからと言って、まだまだ新自由主義の全体主義化がこれで終焉したわけではありません。
仮に今回の結果をうけ、橋下徹という「安易な解決策を打ち出す指導者」が消えたとして、再び、そういった指導者が生まれる危険性も十分にある大衆社会という土壌があることも否めません。
一人一人が思考停止することなく、懐疑心を持って公のことを考えて行く、また新自由主義という安易なイデオロギーこそ危険であると認識する必要性が今後、迫られているのだと思います。
まだ長い戦いは続きそうですが、とりあえず大阪都構想反対に尽力した方々には、おつかれさまでしたと言いたいですね。