女性は強くなった!に懐疑せよ。
戦後、靴下と女性が強くなった、などという話もあるが、靴下はさておき、本当に、女性は強くなったのだろうか。
確かに、戦後、女性の選挙権や男女雇用機会均等法、男女社会参画基本法など、表向きの権利は大きくなった。
しかし、それはあくまでハード面での話であって、女性と言うソフト面での話ではない。
むしろ、女性としては、戦後、弱くなったのではないか、というのが私の見解だ。
その根拠を上げればキリが無いが、分かりやすく喩えるのであれば、権利を声だかに主張するということは、弱い子犬がキャンキャンと吠えまくっているのと同じようなもので、本当に強くなっているのであれば、大型犬のように、どしっと構えているはずである。
しかし、同時に、それを許す男性がもまた、弱体化したのではないか、ということにも繋がる。
相対的に男性が弱くなったからこそ、弱い女性が強く感じるということだ。
しかしながら本来の強さというのは、キャンキャン権利を吠え叫ぶものでもなければ、社会的地位の高まりでもない。
強さとは、精神的なものであり、また別の言葉を使うのであれば、それは「優しさ」である。
優しさは包容力であり、忍耐力であり、そういった精神的強さがバックグランドになければならないからだ。
しかし、最近の優しさは、ただ媚びているだけであり、自分が嫌われたくないという心理の表れだ。
そして強さは、大きくゆがめられ、声だかに権利を主張できるのが、強さに成り下がった。
このように考えると、戦後は男性も女性も弱くなった、というのが、本質ではないか、そう私は思うのである。
またニーチェは「女性の解放なるものは、もっとも女性的な本能がますます衰弱し、鈍麻してきたことの、顕著な症候として現れたものだ」
と述べている。
言い換えれば、男女平等なるイデオロギーの元、女性の社会進出やら権利やらを拡大させ、女性的なものを奪っていったということになる。
そもそも良く、私が使っている言葉だが、結婚とは、女性が日々の生活と氏(男)を横で支えて、吉が糸で結ばれると書くわけであり、それこそが日本的な、女性らしさであると私は思う。
そういった先人達からの流れを無視し、あたかもそれが世界的スタンダードであるという風潮こそ、弱体化した国家の表れであり、衰退した女性そのものの表れなのだ。
そんな本質を理解できず、女性の社会進出だ!共働きだ!イクメンだ!と世間はやっているのだから、笑うに笑えない。
アホもここまで行くと、、、、もはやこれまで、、、ということだろうか、、、