なぜまともな政策が実現できないのか? | ひより

なぜまともな政策が実現できないのか?



私としては、デフレ脱却のためには、とにもかくにも需要不足を補う事。



そして、民間の需要がない、また世界的需要不足である現状からすれば、それは政府の財政出動しかない。



また、この状況下での、供給量を増やす政策は、まさにその需要不足を加速させ、また消費税増税のような、消費圧迫政策は、よりデフレに陥ると常々言ってきました。



しかし、そんな至極全うとも思える政策をなぜ政府がやらないのか?



むしろ、その真逆ともとれる政策をなぜ推進するのか?



正直頭が痛くなります。


と同時に、なぜそのような政策が少数意見となり、大多数は安倍政権が打ち出すようなグローバリズム政策を賞賛するのか、という問題について、考察する必要もあると思うのです。



いや、それこそが我が国を巣食う病魔の根源だとも思うのです。




まず、民間の需要不足を補うための財政出動が、なかなか行われない理由について考えて行きましょう。



1)公共事業が既得権益である。


2)国の借金(財政問題)から、将来にツケを残さない。


3)新自由主義的に、市場に任せることこそ資本主義であり、自由主義である。


4)過去のケインズ政策によってイメージづけられた「無駄やばらまき」という思い込み。



主にこれらが上げられるのではないかと思います(どれもまともなマクロ経済学を学んでいればおかしい事がわかりますが)



さて、一つづつ、それについて反証していきましょう。



まず1)の既得権益の問題ですが、確かに一般入札制度があるにせよ、土木建築に携わる会社が、完全な市場原理ではない政府のお金によって利益を出すというのは、その通りでしょう。


それを既得権益と言ってしまえばそうなのですが、そもそも既得権益というのは、どのような形にせよ、また利益の大きい小さいに関わらず、私たち日本人は誰もが得ているものです。


例えば日本人であるというだけで、様々な国に渡航もできますし、個々の免許制度に関しても、免許を取得することによる既得権益は発生します。



言い換えれば、大なり小なり、私たちは既得権を得ているわけで、それが民主主義の根幹であるのです。



またマクロ的視点で言えば、公共事業を行う土木建築は、比較的低所得、低学歴であり、セーフティーネットという要素と、底辺層の引き上げによる中間層の拡充効果もあります。



むしろ、こうした需要を無くせば、生活保護な職業支援など様々な政府による支援が必要となり(それらは仕事をしていないので生産性がありません)、結果、それこそ無駄な財政出動を行うことになります。



また、需要がそこで生まれるということは、所得を生み、また消費を生みます。これら循環が経済を良くして行くのです。



さらにマクロ的観点で言えば、供給量を10として考えた場合、デフレ下では民間需要が10以下となります。



これを10以上にさせることで、デフレを脱却させていくわけですから、例えば民間需要が9であれば、1.1の政府需要で10・1となり、供給量を上回り、賃金の上昇と物価の上昇という好循環を作る事ができます。(8であれば2・1、逆に10以上であれば限りなく0に近づければ良いのです)



このようにして、そのときのインフレ率によって、政府がコントロールする理論こそ、ケインズ理論であり、経済の安定をはかる上で極めて重要であるわけです(機動的財政などとも言う)




それを2)のように、国の借金が増え続けると恐れていると、それこそGDPは縮小し、結果、税収も減り、借金と税収の差が乖離してしまいます。


問題なのは、まさにその乖離であって、借金が増えることが問題なのではないのです。



例えば、100万円の借金をしている者が、100万円の貯金を持ち、さらに働いて毎月50万円のフローがあれば、決して問題は起きないのと同様に、1000兆円借金があろうと、それ以上の貯金とフローがあれば、なんら問題は起きないということです。


ですから今後、借金が増え続けても、それ相当の貯金が増え続ければ何の問題もありません。



にも関わらず、財政が危ないと吹聴し、増税などで国民の可処分所得を減らして行くと、消費(GDPの6割は個人消費)は縮小し、より状況は悪化してしまうわけで、本末転倒なわけです。




またそこにインフレ率というものも加味しなければなりません。




例えば1980年の政府債務は約129兆円で、今の約10分の1ですが、ここにインフレ率を入れると、約7分の1となります。



言い換えれば、インフレは実質の債務を減らすということになり、逆にデフレは実質の債務を増やすことになります。


このように考えると、財政を健全化させるには、緩やかなインフレに持って行くことこそ正しいのです。



逆に橋本政権以降に行ってきた、政府の財政出動を削ると(緊縮財政)、需要が伸びず、デフレから抜け出せなどころか、実質の債務も増えてしまうのです。



今やるべき事は、借金など気にせず、デフレ脱却のために、思いきった財政出動をするというのが正しいの道なのです。



次に3)ですが、新自由主義の台頭は、サッチャー政権、レーガン政権で行われた、行き過ぎたケインズ政策によって生まれた過度のインフレを自由競争によって退治したことで、よりその力を増しました。


また同時に、ケインズは駄目で、新自由主義が良いという、勧善懲悪のように、ケインズが悪として扱われるようなったのです(本来は、状況によって変えれば良いのであって、どちらかが悪と決めつける問題ではないのですが)



そしてそれらは経済学者を中心としてメディアや政治家に伝播し、国民に植え付けられてきたのです。




また、新自由主義の理屈は極めて分かりやすく、ミクロレベルで生活している国民の心を奪ったと言うのもあるでしょうし、マルクス主義のような、計画経済への反発もその考えを助長させたように思います。




しかし、実際の平等主義、自由主義というのは、元々の強きが勝ち、元々の弱きは負けるという明確な構図であり、純粋な競争原理による平等などではなかったのです。




その結果、格差は拡大し、さらにその格差によってその勝敗も明確になっていったのです(誰もが同じ資金を持っているのならば競争もありなのかもしれませんが、実際は違いますし、ましてそれが国境を超えるのであれば余計です)



そして最後に勝つのは当然、一部の大資本家であり、後の物は皆貧乏という結末になるわけです(ウォール街とアメリカを見れば一目瞭然)



これが競争原理の行き着く所であることが明確な以上、私たち国民は、本来そこと戦わなければならないのです。



にもかかわらず自由競争のもと、自らの首を絞め続けているのですから、笑うに笑えません。




そして最後の4)ですが、先に述べたように、1970年以降、推進されていたケインズ政策による行き過ぎたインフレによって、バブル景気が起き、またそれが弾けた負の遺産への恐怖心が未だに国民に根強く残っているのではないでしょうか。



確かに当時は、明らかに行き過ぎた財政出動があり、それによって供給不足が生じ、過度なインフレへと陥りました。しかし、私はだからといってケインズ主義を否定することには全く繋がらないと思うのです。



なぜならケインズはあくまで「市場の安定の為に財政出動をすべきだ」と言っているわけで、闇雲に財政出動をしろと言っているわけではないのです。



先に示したような民間需要の足りない分を補う程度で良いのです。また、民間の需要が加熱すれば、財政出動を抑え、また金融を引き締めたり、増税などの手段で冷やせば良いだけなのです。



このコントロールこそ大事だとケインズは言っているわけで、過去に日本がバブルを引き起こしたようなやり方を推奨しているわけではないのです。




このように考えれば、今こそがケインズ政策の一番の出番であることは明白なのです。



にも関わらず、相も変わらずグローバルやらスーパーグロバールやら、イノヴェーションやらという言葉が踊り、そこに国民が踊らされているわけですから、どうなることやらです、、、