自由主義と保護主義 | ひより

自由主義と保護主義


しばしば、保護政策はその方向性において、社会主義や共産主義、はたまた全体主義と同列に扱われているようにも思える。



もちろん、過度な保護主義や保護する必要性のない分野での保護は、反自由主義的でそういった批判の対象にもなりうるだろう。



また効率性においても社会主義的計画経済よりも、遥に自由主義的な市場開放の方が良い事は自明であり、市場の調整機能が自然に働くという意味においてもとりわけ否定できないものがある。



よって、ハイエクのような自由主義者が、そういった保護主義や社会主義を痛烈に批判したわけだが、かといって国家の全てに保護が不必要なわけではない。



以前のブログでも書いた通り、国家の安全保障という分野においては、これら市場原理はそぐわないし、むしろ、自由化は安全保障を脅かす脆弱な構造を招きかねないのだ。



また、資本主義経済における市場には不確実性というものは必ず存在する。その不確実性は近年のグローバル化の中で、より短期に、より大きな波として起こるようになった。



日本のバブル崩壊やリーマンショック、アジア通貨危機などがその一例である。



このような通常の市場経済では起きづらいとされていた不確実性の大きな波は、過去、歴史を顧みると世界大恐慌という形で現れている。



その当時、ケインズは、今後もグローバル化の中では、そういったハイリスクの不確実性が起こりえると考え、政府の介入によってその不確実性における波の大きさを緩和させようと考えたわけだ。


それに対し、ハイエクは、あくまで市場の自然調整機能によって、いずれ収束して行くと考え、彼らの意見は対立した。


しかし、近年の状態を考えれば、市場の自然調整機能を超えた不確実性が何度も起きており、その収束に、政府の介入なくしては難しくなっている。(例えばリーマンショック時には、アメリカは大規模な金融緩和と財政出動を行い、そのショックを和らげている)


これはハイエクが想定した波の大きさよりも、大きかったと取るべきなのか、また調整期間が足りなかったと取るのか、経済学者の中でも割れるところだろうが、ケインズは少なくとも前者であったことは間違いない。



しかし、ケインズ主義は、ある意味、ハイエクが想定する範囲で収まるような不確実性に対して、また通常経済の中で行うと、過度のインフレを引き起こすという負の側面も生じてしまう。



これが80年代のイギリスやアメリカで起きたインフレ不況であり、その反動として出てきたのが、サッチャーイズムやレーガノミクスといった、市場の解放と小さな政府という考え方である。



これが功を奏し、イギリスやアメリカはインフレを退治することに成功し、その結果、シカゴ学会を中心とした新古典派経済学の力が増してきたわけだ。



しかしながら、それでも当時は為替などの間接的関税や、諸国による規制によってある一定の保護政策が取られていたこともあり、過度なグローバル化にならずにすんでいたようだ。



それが近年、そういった保護主義が諸外国間の貿易摩擦を引き起こし、悪とされるような風潮へと変わり、自由競争こそ効率的で有効で、平等であると考えられるようになったのだ。



その結果、急激に進んだグローバル化によって、先に述べたような、ケインズが想定した世界大恐慌レベルの不確実性の波が頻繁に訪れるようになってしまったわけだ。



このような状態で取るべき有効的な政策として考えられるのは、一般的には金融緩和、財政出動といった事後処理的な政策か、または保護(規制や補助金)のような事前の政策かのどちらかか、そのミックスである。



前者は、メリットとして金融緩和により、通貨安を生み、海外需要を取り込みやすくなり,また財政出動によって国内の需要不足を補う効果がある。


またデメリットとしては通貨安による貿易摩擦や、金融緩和と財政出動のバランスを取るのが難しいという点が上げられるだろう。


後者は、メリットとして格差を縮め、また市場の不確実性の波を小さく出来るという安定性がある。


またデメリットとしては、不平等と、非効率性と、諸外国からの圧力がある。



しかし、我が国においては、残念ながらバブル崩壊後、そのどちらの路線でもない、むしろ逆の方向へと向かってしまった。所謂、緊縮財政と更なる自由化である。



これによって、我が国は戦後初のデフレ国家という不名誉な状態へと転落してしまったわけだが、にも関わらず、「デフレ脱却」という目的を掲げながら、今まさに、緊縮財政と自由化を進めようとしているわけだから笑うに笑えない。



しかし、一方で、国土強靭化計画など長期的な財政出動によって、格差を縮め、またデフレ下の需要不足を補おうと考えるものが増えてきた(まだまだ一部だが)



ただ国民の中には、政府による財政出動が財政悪化を招くとして反発が多いのも事実だ(筆者は日本に財政問題はないと考えているが)



また国家の安全保障という観点も当然そこには加わるわけだが、自由主義というドグマから抜け出せない人間達にとって、これもまた反自由主義の対象としてバッシングされているという事態にもなっている。(電力の自由化や、農協の解体、農業の自由化、TPPなどがそういった世論に乗じた政策として、上がっている)




このように我が国の現状を考えると、前者の事後処理政策も出来ていなければ、事前の保護主義も出来ていないという、あまりにも不甲斐ない状態なのだ。



さて、そのような状態でさらに自由化が進み、政府の介入の余地が小さくなれば、どのような事態になるだろうか。



当然、資本主義における不確実性の波は、ハイエクが想定するものより、遥に大きなものになっている。



そのとき、私たち日本人はなす術無く、その大きな波に呑まれてしまう可能性が極めて高いのではないか、そう私には思えるのだ。



そうならないために取るべき手段は、安全保障に関わる分野への保護政策(農業、電力、建築土木、防衛など)と、公共事業などの財政出動&消費減税などによる内需拡大で、海外からの影響を受けづらい市場を作る意外に方法はないのだ。



しかし、そんな政策を掲げる政党が一つもない(あえて言うなら共産党が一番近いという不幸)というのが、我が国日本の最大なる悲劇だろう。