一票の格差はあっていい。 | ひより

一票の格差はあっていい。

みんなの党やら、人権団体やら、はたまた司法の最高機関である最高裁でさえも、一票の格差は是正すべきと主張しています。(本当は最高裁が一票の格差をとやかく言う根拠は無い)



一見聞くと、一票に格差があることは、決して良い事ではないように思えます。私が投じた一票よりも、地方の方が投じた一票の方が重く、平等という観点から外れるからです。



確かに私たちは憲法も含め、生まれながらに平等であるという理想主義を掲げています。しかし同時に、私たちは公の一員として、マクロ的な視野を持ってして平等を考える責任もあるのです。


このマクロ的視点というのは、ミクロとは平等の概念が異なります。(合成の誤謬)



ですから私は、ミクロは平等でも、マクロは「公平」と称するべきと主張しています。



この公平という観点を元に、一票の格差を考えた時、果たしてそれは悪でしょうか?是正すべき問題でしょうか?という疑念が生じるはずです。



なぜならば、もしも地方と都市部で完全な平等(一票の格差ゼロ)にしてしまえば、都市部の人間が自動的に優位になり、地方の事情や状況を無視し、都市部に有利な政策ばかりになってしまうからです。



そうなれば、地方はさらに疲弊し、衰退してしまうのは火を見るより明らかです。



言い換えれば、一票の格差は、ミクロ的に(個人レベル)は不平等でも、マクロ的には平等(この場合、公平)になるわけです。



当然、逆に一票の格差を無くすと、ミクロ的には平等になっても、マクロ的には不平等(不公平)になるわけです。


まさに、この矛盾こそが、一票の格差問題の根底にあるわけです。


それをどう解釈するのか、いやどちら側に立って判断するのか、ということが問われているわけですが、残念ながら司法のトップでさえも、個人を優先したとなれば、公としての平等は一体、誰が保障するというのでしょうか?



当然、政府や政治家も最高裁でこのような判決が出た以上、それに従わざるを得ません(法治国家ですから)


マクロ的視野を持った、まともな政治家さん達が、公平よりも平等を政策として取らなければならないのは、本当に苦渋の選択でしょう。



これもまた、個人を重視し、公を蔑ろにする思想が、我が国民(最高裁でさえ)に植え付けられてしなったからではないでしょうか。



個人主義という名の利己主義、個人の権利主義は、一体どこまで強欲になれば気が済むのでしょう、、、本当に先が思いやられます、、、、