なぜ結婚はおめでとうなのか?
結婚おめでとう!という台詞を聞く度に違和感を覚える私。
まあひねくれてると言ってしまえばそれで終わりなのですが、私なりにある思いもあるのです。
まずは、その私の思いに近い福田恆存の一説を紹介したいと思います。
「理解は決して結婚の基礎ではない。むしろ結婚とは、二人の男女が、今後何十年、お互いにお互いの理解しなかったものを発見しあっていきましょうということではありますまいか。すでに理解し合っているから結婚するのではなく、これから理解し合おうとして結婚するのです。である以上、例え、人間は死ぬまで理解し合えぬものだとしても、お互いに理解し合おうと努力するに足る相手だと言う直観が基礎になければなりません。同時に、結婚後も、めったに幻滅に打ち負かされぬ粘り強さも必要です」
まさに福田恆存は結婚はゴールではなく、スタートであると述べているわけですが、であるとするならば、なぜ結婚は「おめでとう」なのでしょうか?
もしも、おめでとうと言うのならば、まさに、「お互いを理解し合おうと努力するに足る相手だと直観できた」ことに対するものであり、結婚そのものに「おめでとう」というのは、単なる形式的かつ形骸化した挨拶程度のものと言わざるをえないように思えるのです。
さらに福田は「結婚後も、めったに幻滅に打ち負かされぬ粘り強さも必要です」と、その困難さも述べています。
言い換えれば、おめでとういうよりも、むしろ叱咤激励するのが、本質的ではないのか、そう思うわけです。
また、「人生は一人で生きて行くにはあまりにも長過ぎる。しかし、たったひとりの誰かを理解するにはあまりにも短過ぎる」
これもまた有名な一説ですが、同じように結婚はスタートであり、むしろ、それからが困難極まるものであり、仮にそれが成就したとしたのならば、それは死である、そんな風にも読み解けると思うのです。
もしもこのようなことを理解し、相手がこれから背負うであろう困難が想像できるのであれば、安易におめでとうという言葉を使うことが、如何にも無責任に聞こえてはこないでしょうか?
さて皆さんは、結婚はおめでとうでしょうか?