闘うという意志
昨日の出来事なのですが、息子に、「もしママが悪い人に襲われそうだったらどうする?」という質問をしてみた所、
息子は「逃げる」だとか「アルソック(警備会社)に頼む」だとか、最後は「妹(自分より強い)に任せる」と言ったような答えが返ってきました。
また、じゃあ自分が襲われたら闘うのか?という質問には「闘わない」「話し合えば良い」という答えが返ってきました。
男の価値でも話しましたが、男の最後の使命は、まさに家族や愛する者を助けるために命を捧げる覚悟というもので決まるように私は思うのです。
そして、息子にもそうなって欲しいと願っていただけに、正直、その答えに愕然としてしまいました。
では、なぜ息子はそんな答えを出したのでしょうか?
今は、学校教育の中でも、家庭内でも、平和主義、思想が蔓延しているように思えます。
たとえば虐め撲滅などです。
確かに虐めは悪いことで理不尽かもしれません。しかし、それを学校内で排除した所で、社会に出ればそういった理不尽さは否応無しにもあります。
そこにどう対処し、自ら問題を打開できるか、というのは、本来学校教育の中でも学んで行く必要があると思うのです。
それが、「先生に言いばいい」とか「そもそもイジメをするような悪い人はいない」だとか、そういう発想になってしまうことは極めて危険ではないかと思うのです(憲法9条があれば日本は平和も維持出来るという考えと重なります)
もちろん、彼らの言い分にも一理ある所はあります。みんなが同じように、他者を敬い、他者に危害を与えずに生きて行ける社会は素晴らしいと思うのです。
しかし、残念ながら現実社会や世界はそうではありません。悪い人間も、私欲にまみれて他者を騙したり、陥れたり攻撃する人間もいます。
また、理不尽な要求を強要されることもあるでしょう。
そんな中で、どう生き抜いて行く精神力を養えるか、というのは、極めて重要であり、そんな世界で生き抜いて行くのだと言う覚悟が教育の中で植え付けられてこそ、それらに立ち向かえると思うのです。
しかし、学校では理想論ばかりで、決してそういった汚い部分というものを見せようとも体験させようともしません。
そんな学校で育った子供たちが、ぽんと理不尽な社会に放り出されたらどうなってしまうでしょうか。
それこそ、パワハラやセクハラに代表されるように、ハラスメントという権利を主張するような、被害者意識が芽生えるか、もしくは精神的に病んでしまうかのどちらかではないでしょうか。
まずは自分と向き合い、当事者意識を持つ、というのは、男としてばかりか人間の成長の根幹であると思うのです。
そういう社会に順応をさせる予備段階がまさに学校であり、家庭であるのならば、今の学校教育や家庭教育はそれらとは真逆な、むしろ、ハラスメントを訴えたり、精神病になるように誘導していると言っても過言ではないのではないでしょうか?
その後、私は荒療治的に息子に襲いかかりました。
そして、「これでも闘わないのか!」と叱咤しました。
そのときは息子は泣きながら「闘う」と言いましたが、その後は「パパのような悪い人は世界にはいない」と泣きながら訴えていました。
それを聞いて、もちろん、息子が今置かれている世界は極めて狭いのだから、そういう風に思うのは仕方が無い、という思いと同時に、なんとも哀しい気持ちになりました。
いつか、私が伝えたいことが、伝わる日が来るのでしょうか?いや、来なければならないと思いますが、このような学校教育が行われていることが非常に心配でもあります。
戦時中の神風特攻隊に代表されるように、自らの命も顧みず、国家や家族、愛する者たちを守るために闘った英霊の方々に恥じない未来に私たち親はしていく義務があると心に誓いながらも、改めて子育ての難しさを痛感した出来事でした。
息子は「逃げる」だとか「アルソック(警備会社)に頼む」だとか、最後は「妹(自分より強い)に任せる」と言ったような答えが返ってきました。
また、じゃあ自分が襲われたら闘うのか?という質問には「闘わない」「話し合えば良い」という答えが返ってきました。
男の価値でも話しましたが、男の最後の使命は、まさに家族や愛する者を助けるために命を捧げる覚悟というもので決まるように私は思うのです。
そして、息子にもそうなって欲しいと願っていただけに、正直、その答えに愕然としてしまいました。
では、なぜ息子はそんな答えを出したのでしょうか?
今は、学校教育の中でも、家庭内でも、平和主義、思想が蔓延しているように思えます。
たとえば虐め撲滅などです。
確かに虐めは悪いことで理不尽かもしれません。しかし、それを学校内で排除した所で、社会に出ればそういった理不尽さは否応無しにもあります。
そこにどう対処し、自ら問題を打開できるか、というのは、本来学校教育の中でも学んで行く必要があると思うのです。
それが、「先生に言いばいい」とか「そもそもイジメをするような悪い人はいない」だとか、そういう発想になってしまうことは極めて危険ではないかと思うのです(憲法9条があれば日本は平和も維持出来るという考えと重なります)
もちろん、彼らの言い分にも一理ある所はあります。みんなが同じように、他者を敬い、他者に危害を与えずに生きて行ける社会は素晴らしいと思うのです。
しかし、残念ながら現実社会や世界はそうではありません。悪い人間も、私欲にまみれて他者を騙したり、陥れたり攻撃する人間もいます。
また、理不尽な要求を強要されることもあるでしょう。
そんな中で、どう生き抜いて行く精神力を養えるか、というのは、極めて重要であり、そんな世界で生き抜いて行くのだと言う覚悟が教育の中で植え付けられてこそ、それらに立ち向かえると思うのです。
しかし、学校では理想論ばかりで、決してそういった汚い部分というものを見せようとも体験させようともしません。
そんな学校で育った子供たちが、ぽんと理不尽な社会に放り出されたらどうなってしまうでしょうか。
それこそ、パワハラやセクハラに代表されるように、ハラスメントという権利を主張するような、被害者意識が芽生えるか、もしくは精神的に病んでしまうかのどちらかではないでしょうか。
まずは自分と向き合い、当事者意識を持つ、というのは、男としてばかりか人間の成長の根幹であると思うのです。
そういう社会に順応をさせる予備段階がまさに学校であり、家庭であるのならば、今の学校教育や家庭教育はそれらとは真逆な、むしろ、ハラスメントを訴えたり、精神病になるように誘導していると言っても過言ではないのではないでしょうか?
その後、私は荒療治的に息子に襲いかかりました。
そして、「これでも闘わないのか!」と叱咤しました。
そのときは息子は泣きながら「闘う」と言いましたが、その後は「パパのような悪い人は世界にはいない」と泣きながら訴えていました。
それを聞いて、もちろん、息子が今置かれている世界は極めて狭いのだから、そういう風に思うのは仕方が無い、という思いと同時に、なんとも哀しい気持ちになりました。
いつか、私が伝えたいことが、伝わる日が来るのでしょうか?いや、来なければならないと思いますが、このような学校教育が行われていることが非常に心配でもあります。
戦時中の神風特攻隊に代表されるように、自らの命も顧みず、国家や家族、愛する者たちを守るために闘った英霊の方々に恥じない未来に私たち親はしていく義務があると心に誓いながらも、改めて子育ての難しさを痛感した出来事でした。