権利と義務
都議会の「早く結婚すればいいんじゃないのか?」というヤジの問題が取り沙汰されていますが、私個人としては、以前までは、結婚否定派だっただけに、この問題は、色々と考えさせられるものがありました。
まず、なぜ以前まで私が結婚に否定的な立場であったかを簡単に説明したいと思います。
1、居る事が当たり前になり、相手を蔑ろにしやすくなる(又は感謝が薄れるや、わかったフリをしてしまう)
2、赤の他人である男女が、家族という関係にまで距離感を縮める事で、男女としての関係性を維持するのが困難となる。
3、そもそも結婚という制度は、その土地から人を縛るための制度であったが現代には適していない。
このような理由から、男女の関係(ミクロ)を考えた時、否定的立場になったわけです。
しかし、それでも私は、あえてそこに挑戦するというという覚悟で結婚したわけです(否定するならその立場に身を置かなければ説得力がありません)
しかしながら、これらの理由の根幹には、個はあっても集団という概念は一切ありませんでした。
そこが私が未熟であった一番の問題点ではなかったかなと反省する次第です。
では、個(ミクロ)ではなく、集団(マクロ)ということまで考えた時、結婚はどんな意味を持つのでしょうか?
これは至極当然ではあるのですが、私たちが今、美味しい食事を取り、仕事にありつけ、ビールや趣味に勤しめるのは、間違いなく、先人達が子どもを産み、育て、そういった環境を作ってくれたからに他なりません。
突然、道が出来、突然、人が現れ、突然、仕事が出来たわけではなく、過去からの積み重ねによって、現在があるということなのです。
言い換えれば、私たちの生活のほとんどは、過去からの恩恵を受けているだけに過ぎないのです。
そう考えた時、私たちが考えなければならないのは、このような恵まれた環境を次の世代にも受け継がせていかなければならないという「責任」だと思うのです。
その責任というのは、究極な所、「義務」とも置き換えられるかもしれません。
もちろん、義務というとずいぶん押し付けられる感があるのは否めないかもしれませんが、この私たちが今、受けている恩恵も言い換えれば「権利」に他ならないわけであり、その権利には必ず義務が生じるのだと、言いたいのです。
ということは、先人達が長年積み上げてきたものを修復、修繕しながら、また守りながら維持していくというのは、まさに現代人の一番の義務であり、その一つが(女性の場合はメイン)、結婚、出産、子育て、ということなのではないでしょうか。
ここ最近、よく「女性の権利」を主張するフェミニストの方々を目にしますが、彼女達はまず、その義務を果たしているのでしょうか?
貴方の仕事が成り立っているのは、人が居るからです。当たり前ですが、誰もいない場所では仕事は成り立たないからです。
その人は一体、誰が産んだのでしょうか? 誰が育てたのでしょうか? 貴方ですか?
当然、それをしてきたのは先人達であって、貴方ではないのです。
このように、過去からの恩恵(権利)を得るだけ得ておきながら、未来にはそれを残さない、自分は自分の好きなようにする!というのは、身勝手以外の何者でもないのではないでしょうか。
それでも「私は好き好んで恩恵を受けているわけではない」と主張される方もいらっしゃるいかもしれません。
そういう方は、きっと国家というものなど必要ないとでも思っているんでしょうかね?
正直、そういう考えの人間には何を言っても不毛なので止めておきますが、私たちは今、ここに生かされているのだ、という謙虚さを持って、それを未来に繋げていくんだ、という責任感をそれぞれ個人が思えば、きっと良い社会が構築出来るでしょうし、子供たちにも、良い未来を受け渡すことが出来ると思うのです。
「権利を主張するまえに、まずは義務を果たす」結局、それを抜きにして議論しても、上辺だけの薄っぺらいものになってしまいます。
もちろん、女性の生き方として、結婚、出産、育児をしなければ駄目だとは言いません。
子どもを産みたくとも、産めない女性もいますし、結婚したくとも出来ない女性もいるでしょう。そういった多様性はあってしかるべきだとは思います。
しかしながら、根底の部分に、「好き勝手していいんだ」というものがあるのは、明らかに自己中心的であり、傲慢と言わざるを得ません。
今、好き勝手自分が出来ているのも、先人達がそういう環境を苦しみながら、悩みながら構築してきたからであるという「想い」なくして、好き勝手な権利を主張するなと言いたいのです。
この話は、それぞれ言い分や考えはあるでしょう。以前の私なら、真っ向から対立していたかもしれません。
それでも、私は今、子どもが居る親として、その子どもが親になるとき、まともな環境であることを願い、そしてそれを構築するための努力はしなければならないと思うのです。
それが私たち現代人の義務(責任)であるのだから。