政治は方向性
安倍政権の個別の政策について、いちいち批判をするのは、正直躊躇われる。なぜならば、木を見て森を見ずになりがちだからだ。
しかしながら、その個別の政策が指し示す方向性というものは、決してミクロ的なものではなく、国家の未来というマクロ的視点で見る必要は多いにあるだろう。
例えばその代表的な物は女性の社会進出と移民の促進である。その一つ一つは、外国人の家政婦導入など、大した弊害を及ぼしそうにもないのだが、かといってそれを安易に無視するわけにはいかない。
なぜならば、そもそもそれが効果や弊害を齎さないにしても、政府がそういった方向に国民の思想を誘導していることには変わりはないのだから。
今現在、安倍擁護、安倍批判を見ていると、そのほとんどが、どちらも個別の案件に対する批判とその反論に終始しているように思えてならない。
根本的な問題として、その方向性はどうなのだろうか?という議論については、極一部の方々の口から以外はほとんど聞かれないのが現状だ。
もちろん、私は安倍政権の国土強靭化法案の成立、特定秘密保護法案の成立、集団的自衛権の姿勢など、外交安全保障については評価している。
しかしその一方で、女性活用やTPPなど、経済政策は極端にグローバリズムに傾倒しており、安倍政権自体が、市場の代弁者に成り下がっているように私には映るのだ。
そもそも私は、政治家というものは、市場とは一線を画す存在で無ければならないという考えだ。
なぜならば、市場は理性(合理性)というものを最優先し、国家の安全や存続というものに関した政策(財政出動)は、非合理(もしくは最小限)だという考えが根本にあるからに他ならない。
そういった思想に重きを置く事は、国家にとっては極めて脆弱性を纏う結果となることは、アメリカ、ユーロの現状を顧みれば明白ではないだろうか。
では、どのような方向性を政府は示すべきなのか。
当然、資本主義国家である以上、全てに国家が絡む事は不可能だ。しかし、かといって全てを市場に任せるようなことも、先に述べたように社会を不安定化させることに直結するから避けるべきであり、
言い換えれば、どちらの方向もそぐわず、適度に政府が介入し、その中で市場原理を働かせるその中間こそが、最も適していると言えるだろう。
それにより、民間が弱れば国家が、国家が弱れば民間が、と言ったように、相互に補え合うような、一種の多様性が生まれるわけだ。
常々私は、安全保障=多様性であると言い続けてきている。その最たるものが民間と国家の比重であり、そこのバランスが整ってこそ、エネルギー安全保障、食料安全保障、経済なども、強靭化させることが可能なのである。
こういった方向性とは真逆に、政府の権限を小さくし、市場の権限を強めれば、結果、万が一(もはや万が一でもなくなっているが)が起きた時、国家はなす術もなく、その混乱した市場経済や社会をただ傍観するだけとなってしまう。これでは何のための政府、政治家なのかわからない。
特に中長期的な政策、方向性を民間のみでやるのは、構造上ほぼ不可能だ。それだけに、中長期的なものに政府が関与しなければ、目先の政策のみに終始し、結果、過去から受け継いだ私たちの財産を失うことに繋がるだろう。
そういったことに歯止めをかけることこそ、そして明確な未来へのビジョンを示す事こそ、政治家の役目ではないのだろうか。決してそれは市場の代弁者(隷属者)に成り下がることではないのだ。
子育て、教育、労働など、そういった物を中長期的にどういう方向性に持っていくのか、ということについて積極的に、そして決してそれは市場優先ではない、真の国家存続との安寧の為にその方向性を示す政治家によって、政治が行われる事を切に願うばかりである。