司法の欺瞞と傲慢
先ほど、大飯原発の差し止め裁判、全文を読ませて頂きました。
正直、開いた口が塞がらないという状況なのですが、感情的に話をしても意味が無いので、何がこの裁判の問題なのか、というのを判決要旨を基に反証していこうと思います。
まず冒頭ですが
「侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である」としています。
確かに言うように、人格権を侵害するものを差し止めするのは当然のことであります(防衛などはまさにそれそのものです)
しかしここで問題なのは、それを止めることで将来に人格権が侵害されないのか、もしくはされる可能性が高まるのではないか、ということを懸念、配慮しなければなりません。
原発というのは、エネルギー自給率が僅か6%の我が国においては、経済活動、エネルギー安全保障の中核を担うものであり、それが差し止められるという弊害を無視はできないのです。
例えば、シーレーンやホルムズ海峡の安全が担保出来ないなどの危機が訪れた場合において、そのリスクは、判決要旨で散々述べられている原発同様の人格権を脅かすリスクであり、ここで判断しなければならないことは、原発の危険性だけではなく、原発の危険性と、原発を止めた時の危険性のどちらが我が国において、高いリスクとなりうるのか、という論点でなければなりません。
そこが欠落した判決文は、まさに木を見て森を見ずであり、その差し止めによるリスクを無視したものに過ぎません。
さらに
「新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める」
とした上で、
「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる」としている。
これは言い換えれば、原発の技術はこれ以上は変わらない(むしろチェルノブイリから変わっていない)、もしくは、安全性はこれ以上、上がらない、と言っているに等しく、まさに、社会の発展は必要ではない、と断言するものであって文明の否定である。
やや感情論も混ざってしまうが、この裁判官は、我々に原始時代に戻れと言っているようにも聞こえてしまうのだ。
続いて、
「国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない」と関西電力を露骨に批判している。
このこともまさに安全保障という観点を加え私が反証するのならば、
「たとえ電力の安定供給が困難となり、経済、国力が衰退し、外的圧力(侵略)や国内の経済事情によって、国民の安全が担保出来なくなったとしても、原発は危ないから止めなさい」という、極めて短絡的な見通しのもとにたった判決と揶揄せざるを得ない。
最後に、
「コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている」
安全保障のあの字すら出てこないこの裁判官には、どうやら再稼働賛成派が、電気代が高い低いという問題意識だけで原発を動かすことに賛成しているとでも思っているのだろうか、と疑わざるを得ないのだが、仮に、電気代が上がれば経済的困窮によって自殺者が出る可能性もあり、「人の生存そのものに関わる権利」を犯すわけであって、並べて論じられない根拠などどこにもない。
また、そもそもインフラというものの本質が「人の生存そのものに関わるもの」であるという認識が著しく欠落している。
そして、続けて
「このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」としている。
もう呆れるばかりなのだが、これが長い年月続いたら、また、突如として有事が起きたら、という時間軸や危機管理という観点が決定的にこの裁判官にはないということがよくわかる。
ここまで来ると、もはや傲慢という言葉を通り過ぎ、恣意的に国民を欺こうとしているとしか思えない。
そもそも国家というものは、「経済力、軍事力、価値観」で保たれているものであって、経済、軍事(この場合エネルギー安全保障)を無視して安全など担保できないのである。
賢明な読者の皆さんには、ぜひ、この司法の欺瞞を見抜いて頂きたいと切に願います。