浮き彫りになったトレードオフ | ひより

浮き彫りになったトレードオフ



トレードオフとは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという関係だが、現代において、そのような状況下にも関わらず、そのどちらも欲しい(もしくは間違った選択)という無理な欲望が渦巻き、その結果に生命の安全や未来を脅かす自体になっていると私は懸念している。



特に、安全か利益か?


また、育児か仕事か?




という二点が今日において、大きなトレードオフの問題であると私は認識している。




まずは安全か利益かだが、先の韓国船沈没事故に代表されるように、規制緩和によって乗組員(船長すら)のほとんどは短期の派遣契約社員であったり、過積載を平然と行ったりと、安全を蔑ろにし、企業の利益を優先させたことで、多くの人命を失うという大惨事に至ったことは記憶に新しい。



これは対岸の問題ではなく、我が国においても、とある格安航空LCCのように、低コストで利益を追求しようとした結果、パイロットの体調が崩れ、通常運行もままならない状態に陥っている企業もあり、またJR北海道の事故なども杜撰な維持管理によって引き起こされた。



本来は、飛行機や電車など、民間であっても、安全の担保というのは大前提でなければならない。しかし同時に、安全には絶対的なコストが掛かる。



それ故に、本来は政府がある程度の関与、規制をしなければならないのだが、今日のようにグローバルという市場原理に任せ、企業が目先の利益優先を追求し続ければ、安全は蔑ろにされ、大惨事に繋がる事故を起こしかねないわけだ。




まさに利益と安全の確保は相反するものであり、トレードオフそのものなのである。



またそれは、女性の社会進出か子育てかという局面においても同じである。



女性の社会進出は言い換えれば目先の利益(所得)である。しかしその弊害として女性が社会に出ている間は、子供は母親と接する事が出来ないのである(昔はおんぶして仕事をしたりしていたが)



私は常々、子育ての根幹は愛の量であり、その前提において質が求められると主張し続けている。



ということは、女性の社会進出はその前提である量が、物理的に足りない事になる。



これもまたトレードオフであり、どちらかが犠牲(この場合子供への愛情)になってしまうわけだ。



もちろん、私は女性の社会進出を全て否定しているわけではない。


止む終えない事情を抱えている家庭への配慮も必要であると思っているし、子育てを終えた女性の活躍も大事なことだとは思っている。


しかしながら政府があたかも女性の社会進出は当然のように、所得控除を廃止しようとしたり、保育施設を増やそうとしているし、何より社会の風潮もそういう流れになっているのではないだろうか。




私には全く理解できない流れであり政策である。



子供は未来の日本を構築し、支える原動力そのものである。その子供を犠牲にしてまで、目先の利益を優先することほど、愚かな事はないのではないだろうか。



それら政策や思想は、完全に時間軸という観点を失っているし、何より形而下的なもの(お金)ばかりに目がいって、形而上的なもの(愛や夢や誇りなど)を蔑ろにしているとしか言いようが無い。



何かを得れば何かを失う。これは自然の摂理だ。



そのとき、私たちは何を犠牲にすべきなのか?



子供なのか、安全なのか、はたまた自己満足や経済的裕福なのか。



どちらかしか得られないという状況の中、私たちは現代人はどちらを選択するか問われているのだと思う。



そしてその答えが未来を創っていくということはまぎれも無い事実である。